照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

時にはメルヘンチックに

まさに春!という感じの昨日の朝。人々の装いも、前日の肌寒い雨の日とはガラリと変わって、その明るい色合いはまるで花のようで、(アッ、ここにも春が)という感じであった。

道行く人の誰もから、春が揺らめいていた。内実は、心に不安や困りごとを抱えているのかもしれないが、とりあえずそれは横へ置いておこうよとばかりに、太陽は、植物へも人へも建物へも、地上の全てに等しく日差しを降り注ぐ。光の煌めきが、いっとき暗い気分をも覆ってしまうから、皆んな輝いて見える。

この光を邪険にし出すのも、きっともうすぐだ。だから、この陽の輝きを喜びに感じられる今、全身で謳歌したい。歩いたり、バスに揺られたりして、街や人を眺めながら、そんなことを思っていた。春は、人をメルヘンチックにさせるようだ。

 

「人を動かすのは理屈でも言葉でもない」に共感ー垣根涼介『迷子の王様』

このところずっと、歴史本ばかり読んでいたらちょっと頭がくたびれたので、箸休め的に『迷子の王様ー君たちに明日はない5ー』(垣根涼介新潮文庫・H・28年)を読んだ。

このシリーズはこれでお終いということで、最終話には、これまでの全てが凝縮されている。あとがきには、その熱き思いが更に詳しく綴られていて、心に響く。

物語は、リストラ請負会社で10年間、面接官としてさまざまな立場の人たちと接してきた村上真介が、将来的には先細りになるであろうこのニッチな業界に見切りをつけ、会社を整理することを決めた社長の意向に従い、ついには自分もこの仕事から離れることになる。

次のステップに進む前に、真介は、かつて自分が担当した相手に会い行くことを決める。その4年ほど前から彼は、面接が終わった後でお礼のメールを送り、返事のあった人へは、年賀状も送っていた。賀状が返ってきた人とはその後もやり取りを続けていた。そして、仕事を辞めた後で改めてそれらの人々へ手紙を書き、会いたい旨を伝えた。

会ったうちの一人からは、逆に、リクルーティング役として自社に来ないかと誘われる。なぜ自分を?と驚いた真介が尋ねると、
"・・・自分がかつて担当した相手を会社を辞めた後で、しかも自腹を切ってまで訪ね歩いているような酔狂な人間が、一体どれくらいいると思う?"(P・281)と問われる。

"「人はさ、いくら理屈が通っていたとしても、言葉だけじゃ動かないよ。それを裏付ける気持ちを持つ相手に対してだけ、動くんじゃないかと僕は思う。"(P・283)

そして相手は、"「あなたが今、やっていることがそうだと思う」"と、真介のしていることは側から見れば何の益もなく、立場上、報われるよりは嫌な思いをすることが多いだろうと推測し、だが、一見無意味に見えるそのことこそが人の心を動かす力になると言う。

確かに人は、理屈や損得感情抜きに、相手に共感を覚えた時に心が動く。それも、表面だけのテクニックで言葉を駆使したところで上手くいかない。向き合う相手から醸し出される目に見えない何かを、もう一方の心がキャッチしてはじめてそれが可能だ。その見えない何か、いわばその人を包む雰囲気のようなものは、まさに日頃の自分の思いや行動から生まれるのだと思う。

この本の最初の章で、モデルになっている会社に懐かしさを覚え、かつ最終章での、"人は言葉だけでは・・・"という箇所で、当時私の所属していた部門の他に、総務や経理といった間接部門までひっくるめて引き取ってくれた社長を思い出していた。

当初は、部門丸ごとどころか、部もしくは課単位で切り売りされるかもしれないとの憶測さえあったのだが、この社長の決断のおかげで、私たちは露頭に迷わすにすんだ。無論、その後もリストラとは無関係だった。

その恩義から言うわけではないが、ズバズバ物言う人だったので本部主流から外された経歴を持つ社長は、私たちからみれば、この人のためならと思わせる雰囲気を持っていた。

本部は歴史にあぐらをかき、時代の流れも読めないイエスマンばかりで固められていたが、むしろこのような人を登用していれば、会社がなくなる事態にまで至らなかったかもしれない。だいいち、社員の士気が違ったはずだ。

当時、会社が無くなるのは青天の霹靂で激しく動揺したが、今になれば、あの社長の下で仕事ができたのは幸いであった。だが非常に残念なことに、新会社としてスタートを切った3年後、病気で亡くなられた。その時は、(多分)全社員が気落ちしたと思う。

文中での、「人を動かすのは理屈でも言葉でもない」に、かつてそれを示してくれた人を思い出し、まったくその通りと改めて思った次第。

この作者の本は、どれもあっさり読めるが、深く考えさせられることがたっぷりだ。それでいて、教訓臭さがないところが特に良い。

 

雨の日にぴったりの映画ー『マイ ビューティフル ガーデン』

昨日は雨。こんな日は映画日和と、シネスイッチ銀座で『マイ ビューティフル ガーデン』を観てきた。雨の日は電車が混雑するので、ターミナル駅まではバスで出かけた。

バスから外を眺めていると、イチョウが芽吹きはじめている。〈ワシは浮かれたような春の賑わいには加わらんのだよ〉とばかりに、空に向かってスクッと立つその武骨な姿を目にするたび、葉が出るのはもう少し先かなと思っていたのだが、予想よりずっと早かった。

ヨーロッパには、「四月の雨は五月の花を咲かせる」という諺があるそうだが、雨は植物たちにとっては恵みだ。たまたま映画の中でも、主人公ベラの隣に住む花をこよなく愛する隣人が、植物にとって雨がいかに大事かを説いていた。

実はベラは、植物が大の苦手で、庭付きアパートに住んでいながらまったく手入れをしていない。そのため、ある日、退去命令が出てしまう。猶予期間は1ヶ月だ。仕方なしに、荒れ放題の庭を何とかしようと取り組み始める。

気難し屋の老人である隣家の男性とは、元々没交渉であったが、ちょっとしたことがきっかけで言葉を交わすようになる。といっても、最初はハートフルどころか、むしろその逆だ。だがやがて、庭づくりのアドヴァイスもしてくれるまでになる。

そこにベラの恋話も絡んだりして・・・と、フワフワっとした甘いお菓子のようなストーリーは、肌寒い雨の日にはまさにピッタリであった。おとぎ話もたまには良いなと、雲の上を歩いている気分のまま映画館を後にした。

 

「最後の晩餐に何を食べるか」ー私だったら塩むすびが良いな

「最後の晩餐に何を食べるか」、だいぶ前、新聞か雑誌で、著名な人にインタビューした記事を読んだことがあった。もし自分なら何にするか、当時はいろいろ浮かんできて、とても絞りきれないなと思った。でも今なら、塩むすびが良いと断言できる。

先月、奈良に滞在した折、食べ過ぎに疲れが重なって2度ほど胃の不調を招いた。夜中に、自分で至室と呼ばれるツボを押しながら、その日食べた物を思い起こし、何で食べちゃったんだろうと激しく後悔していた。

奈良では、ホテル暮らしのため外食だったのだが、一人前の量が私には多すぎる。食べて美味しいと、もう一口という欲に、残したら悪いなとの思いも重なって、つい無理してでも胃におさめてしまう。その挙句、数時間後にそのツケが回ってくる。

旅先では腹八分目が鉄則なのにと、嘆いてみても後の祭りだ。仕方がないので、翌日からの参考にと、自分の胃に優しい食べ物は何かを考え始める。あれこれ浮かべても、なかなかピタッとくるものがない。(世の中にこれほど食べ物が溢れているというのにまったく)と、とりわけスイーツなどは呪いたい気分にもなった。そんな中でふと、かつてコンビニで買った塩むすびが浮かんだ。

これだこれだ。私が人生最後に食べるとしたら、絶対塩むすびだと思った。「晩餐」というには、かなり見劣り感が強いが、小ぶりの塩むすびをじっくり噛んで飲み込むところを想像すると、至福という言葉が浮かぶ。身体のすみずみまで、しっかりと滋養が行き渡るイメージが湧く。最後だからこそ、このように生命を感じさせる物が良い。

お米にも塩にも、手作りか否かにもこだわりはなく、目の前に用意された塩むすびを、美味しいと思いながら噛み締めることができら最高で、私にとっての最後の晩餐に相応しいと思った次第。

天平時代の女性に想いを巡らせるー光明皇后の容姿に俄然興味を覚えて

『奈良の都』での、光明皇后についての記述が、私にはとても新鮮であった。『古寺巡礼』(和辻哲郎)では、カラ風呂での光明皇后施浴の伝説及び法華寺の本尊十一面観音のモデルと言われていることについての考察にページを割いている。その文章からの印象か、何となく、お綺麗な方であったのだろうと思い込んでいた。

だが、"「光明子の人となり」"には、

"聖武天皇の人柄については一言もふれていない『続日本紀』も、光明皇后については、「幼にして聡慧(そうけい)、早(つと)に声誉(せいよ)を播(ほどこ)せり」とか、・・・、あるいは「仁慈にして、志、物を救うにあり」と記している。聡慧、つまり頭がいいとはいっているが、美人だとは一言もいっていない。美人だったという伝説は、法華寺に縁が深く、じじつ美人だった嵯峨天皇の妻の檀林皇后と混同されて生まれたのだろう。法華寺の十一面観音像も檀林皇后と同時代の作品である。"(『日本の歴史3 ー奈良の都』(青木和夫・中公文庫・1973年・P・325)

とあるではないか。本の中で、この時代の他の女性に対しては容姿について言及していないのに、光明皇后に関しては、"美人だとは一言もいっていない"と強調している。

アララ、そうだったのという感じだ。もっとも、当時の美人像を思い浮かべるたび、現代に生きる私の感覚からすれば、美の基準にかなり疑問が残る。だから、美人かそうでないかは大差ないような気もする。

だが、当時のように、1日2食、しかも、量も十分ではない粗末な食事では、全般的に男女共に痩せていたに違いない。そんな中で、ふっくらとしているというのは、やはり美の要素だったのかもしれない。身体に栄養がいき渡っていれば、鳥毛立女屏風に描かれた女性のように、髪も(多分)黒々として豊かなはずだ。

しかし、実際、光明皇后はどのようであったのか。"天平の時代の代表的婦人の肖像を持たないことはわれわれの不幸である。そのためにわれわれは天平の女に対して極端に同情のない観察と著しく理想化の加わった観察との間を彷徨しなければならぬ。"(『古寺巡礼』・青空文庫版より)

まさにこの言葉通り、頭の中であれこれその姿を思い巡らせてしまう。私の場合、"極端に同情のない観察"よりは、"聡慧"からの連想で、知的な美しさを感じさせる方であったかもしれないと、やや"理想化の加わった観察"へと傾く。

そして、これまでさほど関心が向かなかった当時の女性の容姿についても、俄然興味が湧いてくる。タイムマシンで、奈良にひとっ飛びできたら面白いのに。でも、物凄くびっくりするだろうな。やはり、空想しているくらいが楽しいのかもしれない。

 

女官の目を引こうと制服の袖や裾に工夫を凝らした奈良時代の貴族たち

『日本の歴史3 ー奈良の都』(青木和夫・中公文庫・1973年)は、500ページ以上にもわたるが、面白くて非常に読み応えがある。但し、いくら面白いとはいえ、小説のようにサクサクとはいかない。読み進めているうちに、頭がとても草臥れてしまうので、時々休まざるを得ない。数日かけて、何とか完読したところだ。

しかし、奈良時代とはどのような時代であったか、全てが網羅された映像でも見ているように、眼前に浮かび上がってくる。国の仕組み、税や法および刑罰についてもよく分かる。また、身分が上の者から下の者まで、当時の人々の衣食住を含めた暮らしぶりがなかなか興味深い。

ちなみに、「貴族の生活」の章には、昔も今も考えることは同じだと、ちょっと微笑ましく思える箇所もある。

"貴族の場合は、結婚が政略に役立つので、正妻は親が選ぶ。・・・思い思いの娘のところにも通う。宮中で探すこともあろうし、・・・。"

貴族たちは、宮中で目指す女官に注目してもらおうと、

"朝廷での服装は、それぞれ位階に応じて朝服というのがきめられているのであるが、それを自分なりにすこし変えてみる。七一二年(和銅五)の暮れには、それが目にあまったとみえ、次のような勅がでた。

「諸司の官人衣服のソデを狭くしたり、裾を長くしたりする者がある。また、エリが浅すぎて歩く時に開くのもある。それらはもってのほかであるから厳重に禁止する。また無位の者の制服のスソ(裾)は一尺二寸以下とする。」(「貴族の結婚」・P・173〜5)*カタカナ部分は昔の字のためカタカナに変えて引用

制服の裾幅を細かく規制している辺りは、私が高校生だった頃を思い出させる。今でも、制服については、厳しく校則に定められているのだろうか。

それはさておき、奈良時代の貴族たちが、どうやったら女性にアピールできるか、苦心している様子を想像するだけで、いつの世も同じだと笑えてくる。

ただ、"『魏志倭人伝』の昔から、「大人はみな、四、五婦、下戸もあるいは二、三婦」といわれていた国がらである。中国人は、倭国にはきっと女性が多いのだろうと、うらやましがってさえいた。"(P・173〜4)とあるように、複数の妻を持つのが普通の時代であった。とはいえ、現代の私からすれば、妻が一人いれば、もうオシャレに浮身をやつさずともいいではないかとも思える。

お書きになられたのは、歴史学者の方だが、このようにクスリとする部分もあって、教科書的つまらなさは少しもない。だが、大半は、私がここにかいつまんでご紹介できるほど簡単な内容ではないので、ご興味が湧いたら、実際手に取って、ご自分で確認して頂くよりない。

ともかく、当時、歴史の舞台に登場した人物たちの人間推察にも優れていて、まるで時代絵巻の如く個々人が浮かび上がってくる。古い時代の書物を読み解き、その中から取り上げたエピソードに、ユーモア感覚も窺える。分厚い本を手に、読むぞ!と気合いを入れた甲斐があると満足すること間違いなしだ。

 

心が疲れた時は好きな音楽を流してボーッとする

身体はまったく正直だ。自分では、ほんのちょっと気掛かりくらいに思っていた事が、翌朝唇の端にヘルペスができていて、実は、頭で感じる以上にストレスになっていたと分かる。私の場合、免疫力の低下を招くのはほぼストレスによる。

こんなことは何でもないんだと、自分の気持ちを宥められたと思っていたけれど、ちゃんと身体に出る。そんな些細な積み重ねを見過ごしていると、容量一杯になったある時点で、溢れ出てしまうんだろうなと思う。慌てて掻い出したからといって、多少の隙間ができたくらいでは、ひとたび堰を切ったように流れ出した諸々は落ち着くものではない。

そうなる前に、身体がいつもとは少し違うと感じたなら、自分の感情に向き合ってみるしかない。但し、心を深掘りしたり、むやみに自分を可哀想がったりはしない。ただ、(疲れたんだね)と自分を労り、好きな飲み物を用意して、好きな音楽を流して、しばらく何も考えずにボーッとする。眠くなったら寝てしまえばいい。

やがて心が回復すると、身体もだいぶ元気になって、気持ちもグンと上向く。すると今度は、無理に気持ちを抑え込まなくても自然と、(こんなこと、まあいいか)と思えてくる。いっときはキュッと心を狭めていた事が、まったく大したことではなかったとよく分かる。

そこまで行ったら、もう大丈夫だ。人には、適度なストレスも必要と言うしねと、ストレスさえも軽く扱えるようになる。だいたい私は、いつだってこの繰り返しだ。「杞憂」の由来そのままに、今すぐにでも天が崩れ落ちてきたらどうしよう的に、いささか大袈裟に心を痛めては、(何てことないや)と、瞬く間にケロリとしている。

でも、そんな能天気な私でも、身体が反応した時はやはり気をつける。匙加減がポイントながら、自分を甘やかしてみる。しかし、息抜きは必要だが、もちろん息抜きばっかりでもダメで、そんな時にもちゃんと身体が信号を送ってくる。人間は、ややこしい。それでも、なんとかバランスを取りながらやるよりしょうがないね。

とまあ、纏まらないままにお終い。このくらいのテキトーさが、気楽に生きられる秘訣かもしれない。