照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

あひるのジマイマかい?〜イエイエ、ただのアヒルですよ。クワッ!クワッ!

エヴォラの旧市街を囲む城壁に沿ってしばらく歩いてから、再び中に入ろうと坂道を上って行くと公園の側に来た。サン・フランシコ教会のすぐ先にある公園だ。以前、ここで放し飼いの孔雀を見たのを思い出し、(また孔雀いるといいな)と期待して、公園内のカフェで一休みすることにした。

 

孔雀には会えなかったが、アヒルがいた。金網で囲われた小さな池の回りを歩いているのだが、内股でペタペタとゆっくり進む。時々立ち止まって、どこか遠くの方を眺めている。何を見ているのだろうと気になるほど、ずっと見続けている。そしていきなり、クワッと鳴く。金網の間近のテーブルには、高校生くらいの男子数人が座っていたが、誰もアヒルの呼びかけに応じない。

 

するとアヒルが、「アンタだよアンタ!」と言うように、今度は、クワッ、クワッと2回鳴く。その声に、自分が呼ばれたのかと振り返った男の子が、足元に落ちていた枯れかかったプラタナスの葉を拾って、金網越しにアヒルの方へ差し出す。アヒルは、その葉っぱにほんのちょっと興味を示しただけで、すぐに、フンっといった感じで知らんぷりだ。

 

男の子だって、さほどアヒルに関心はないようで、無視された葉っぱをそこに置くと、仲間の方に向き直ってしまった。すると今度はアヒルが、その葉を金網の下から引き寄せ、突ついたりしながら好みに合うかどうか確認している。でもやっぱり、お気に召さなかったようだ。囲いの内側に植わっているササの葉のような物を、噛み始めた。

 

だが、やがて向きを変えてペタペタと2、3歩進むと、立ち止まって前方に目をやったまま、しばらくじっとしている。まったく、何を見ているのだろうと、またもや気になる。誰か知り合いでも見つけたのかなと思っていると、またクワッ、クワッとやる。今度は、誰も応える人はいない。

 

しかし、このアヒルが、"よそゆきのショールをかけボンネットをかぶ"ったなら、まるで『あひるのジマイマのおはなし』(ビアトリクス・ポター作『ピーター・ラビットの絵本11』)にでてくるジマイマみたいだ。もしかして、ジマイマの子孫かもしれない。卵を抱くのが下手だったジマイマだけれど、卵の幾つかはちゃんとヒナにかえっているのだから、子孫がいても不思議ではない。但し、絵本の中のことだけどね。

 

それにしてもジマイマ、自分が料理されるのも知らずに野菜やら香辛料やら持って行くなんて、犬がキツネの悪だくみに気づいてくれなかったら、子孫どころじゃなかったよ。このあたり、『注文の多い料理店』(宮沢賢治)の2人の紳士を彷彿とさせる。

 

先史時代の遺物などにも感じることだけど、人間の発想は、やはりどこかしら似通っている。だから古今東西で、類似性のある昔話が生まれるわけだと妙に納得。

 

ところで、この公園には銅像があって、坂下の駐車場から来たと思しきツアーの一団が、どのグループも必ず立ち止まってガイドさんから説明を受けている。その後で皆さん、その像を熱心に写真に収めている。あれは何でしょうと、アヒルばかりかこちらも気になるが、ガイドブックには載っていない。

 

何だかわからないが、後で調べることにして一応写しておいた。するとビックリ!何とヴァスコ・ダ・ガマであった。しかも回りの木は、胡椒木(コショウボク)といって、記念に植えられているという。(*自分の愚かさに呆れるが、ここに載せる前にその写真を消去してしまったため残念ながらお見せできない)

 

いわゆるブラックペッパーとして知られている蔓性のコショウとは異なるが、その実はピンクペッパーといって、胡椒と同様に使われるそうだ。こちらは、南アメリカが原産だ。実際、ヴァスコ・ダ・ガマがインドから持ち帰ったのはブラックペッパーだが、こちらの方は、気候的にポルトガルでは育たないので、代わりに胡椒木が記念に植えられているのかなと推測する。

 

ところで、なぜエヴォラにヴァスコ・ダ・ガマと思ったが、ここに数年暮らしていたとのことだ。ヘェ~!知らなかったよ、と3度目の訪問にして初めて知る事実(と言うほど 大げさな事でもないが)に、どこでも、一度行ったらその地を知った気になるのはアブナイねと改めて感じる。

 

何しろ、ヴァスコ・ダ・ガマといったら、テージョ川に架かる長い橋にもその名がつけられているし、ジェロニモ修道院横のサンタ・マリア教会には、ポルトガル最大の詩人ルイス・デ・カモンイスと一緒にその棺が置かれている人だ。

 

ウイキペディアによると、"ジェロニモ修道院は、ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓及び、エンリケ航海王子の偉業を称え、1502年にマヌエル1世によって着工され、・・・その建築資金は、最初ヴァスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、その後も香辛料貿易による利益によって賄われた。"とある。

 

つまり、ポルトガル黄金時代の幕開けに貢献した重要人物だ。その人が暮らしたともなれば、ガイドブックのエヴォラの案内には、ぜひとも胡椒木と共に紹介して頂きたかった。この航路が開拓(1489年)されていなければ、その後(1584年)天正遣欧少年使節がエヴォラを訪問することもなかっただろう。

 

ともあれ、エヴォラに寄って良かった。訪れる時期が異なれば、見えてくる景色も違う。それ以上に自分の関心も変わってくる。だから、いつだって初めての感覚だ。まこと、旅は奥が深い。

 

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お慰みに孔雀の写真をどうぞ(2015年12月撮影)

 

 

ワシこれでもライオンなんですわ〜エヴォラ美術館(ポルトガル)で

エヴォラでは特に観光予定もなかったのだが、思いついてエヴォラ美術館へ行ってみた。宗教絵画などよりは、ローマ時代の遺物を含む古い時代の彫刻などの方が見ていて楽しい。それも、作品価値が高そうな立派な物よりは、ユーモラスな物に目がいく。

 

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 ワシ こう見えてもライオンですわ

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やっぱり ライオンには見えませんかな?

 

これなどはライオンなのだが、プレートを読むまでそうとは気づかなかった。百獣の王と尊称されているにしては、どこからどうみても王者の風格はおろか、威厳などちっとも感じられないではないか。誇り高きライオンには失礼ながら、むしろ、トドみたいだ。(そんなこと言われたってワシ泳げないんだが)と、ボソッと抗議してくるかな。

 

それにしても、これを作った人は、ライオンに対してどのようなイメージを持っていたのだろうと、そちらもかなり気になる。現代なら親しみやすい像(絵)に出合うことも多いけど、相当古い時代には、愛されキャラという観点から制作するなんて意識すらなかったと思う。いつの時代の物かを、メモしなかったのが悔やまれる。

 

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こちらもユニークだ。(何だか知らないけど、ひとりでに手足が動きだしちゃうんですけど)といった感じに皆が踊っている?それともバンザイ?している。

 

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 左 イノシシ 右 馬 

この近くには、リアルなイノシシと馬がある。(俺たちはちゃんとしているからね。他と一緒にしないでくれよ。なんて言ったって、正統派だもんね!)と言わんばかりだ。

 

ずいぶん技量が違うんじゃないかいと可笑しくなるが、実際、バンザイ人形は何の目的で作られたのだろう。製作(それとも発掘)年代なども撮っておくんだったと今更ながら思う。

 

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このいちばん左の人形?は、その姿及び衣装から仏像のようにも見える。もちろん、そんなことないけどね。しかし、どのような所に飾られたのか、これも気になる。

 

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猫?ですよ  多分

 

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さまざまな動物

 

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紋章だけあってこれはちゃんとライオンに見える

 

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 こちらのワシ?もそれらしく見える

 

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人物の顔がちょっと愉快 (受胎告知)

 

 上二つは、装飾に、アラブ人が支配していた時代の雰囲気が窺われる。(但し、こちらも単に私の推測で制作年代は未確認)

 

ところでこの受胎告知、両手を上げて、「アッレ、まぁ!」とびっくりしている感じが、どこかで見た気がすると思っていたのだが、バルセロナのカテドラル内のこの絵とよく似ている。

 

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バルセロナ カテドラル内(5/4撮影)

 

イベリア半島一帯で、このような描き方が主流だった時代があったのだろうか。これらもまた、プレートで年代や(わかれば)製作者をメモしてこなかったのが悔やまれる。このバルセロナの絵にも、多少アラブ風が感じられる。これは、もっときちんと調べたらずいぶん面白そうだと興味が湧く。

 

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生活用品は世界中どの地域でも同じ

 

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翡翠

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翡翠のネックレス

 

これらは、(多分)世界中どの地域でも同じような物が出土している。所詮、人間の考えることは、似たり寄ったりってことかな。

 

ところで、こんな愉快な作品たちにお目にかかれるとは、正直期待していなかった。 美術館では、このように興味があるものだけ見て回るのも楽しい。もし、まったくの期待外れだったとしても、入館料は3ユーロだから、サッサと回って出てきても惜しくはない。機会があれば、ライオンに会いに行かれるのも一興だ。

 

 

 

 

エルヴァスからエヴォラへ〜1時間半のバスの旅にはワクワクがいっぱい

エルヴァスからエヴォラへは、リスボン行き午前8時30分のバスに乗車。(リスボンへは、エヴォラを経由しないで行くバスもある。)平日なら、この次は午後1時のバスがあるのだが、日曜日は午後4時とずいぶん間隔が空いてしまう。そのためちょっと早い出発だが、やむを得ず朝の便にした。

 

ホテルの朝食は通常朝8時からだが、チェックインした時バスの時間を伝えたところ、朝食を早く用意するので何時がいいかと尋ねられたので7時45分でとお願いしておいた。15分前なら、それほど従業員の方の負担にはならないだろうと考えたのだ。バスターミナルまでは徒歩5分ほどだが、8時に食事をしていたのではやはり慌ただしい。おかげで、急くこともなく、バスに乗車できた。

 

バスは、途中の町々で客を乗せてエヴォラへ向かうのだが、2ヵ所目のボルバを過ぎると、大理石の採石場が見えて来た。結構規模が大きい。後で調べてみると、"ポルトガルはイタリアに次ぐ世界第ニの大理石輸出国で、しかも85%がこの地域で産出されているそうだ。"(ウイキペディアより)

 

ここを過ぎると、ヴィラ・ヴィソーザ、ルドンドに留まる。いずれもガイドブックに載っている町だ。まさかここがルートになっているなんて考えもしなかったので、ちょっと特した気分になる。実際に歩き回ることはできないが、バスの中からでも町の雰囲気は感じられる。(*ちなみに、バスの時刻を詳しく検索すると、ルートと各町への到着時間がちゃんと出てくるが、そこまでは調べなかった。)

 

旅の途中で、エヴォラへ行かずにポルタレグレへ回ってもよかったかなとチラッと思っていたのだが、見知ったと思っている町でも、向かうルートが違えば、このように思いがけない景色に出合う。

 

付け加えると、エヴォラの町が近づいてきた時、エヴォラってこんな丘の上にあったんだと新鮮な驚きがあった。過去に2度ほど訪れた時は、もっと平坦なイメージがあった。城壁内に入れば、確かに、坂道が緩やかに続いていて、カテドラルからディアナ神殿の辺りは周辺より一段と高くなっている。

 

しかし実際目にしないと、入る方向によって町の感じが違ってくるとは、なかなか想い及ばないことだ。単純な私は、エヴォラにして良かったと改めて嬉しくなる。たった1時間半のバスの旅だけど、知らない町を巡るのはワクワクがいっぱいだった。これが旅の醍醐味かな。

 

 

 

 

バダホスから国境を超えてエルヴァスへ〜スペインからポルトガルまで12キロ

バダホスからはなんと、リスボン行きのバスも出ていた。よく調べもせずに、バダホスをかなりの田舎だと思い込んでいた私は、さすがに、バスがターミナルに近づくにつれ、その認識を改めてはいた。(エル・コルテ・イングレスの買物袋を下げた人もいっぱい見かけたので、ここにはデパートもあるようだ)

 

しかし、電光掲示板の行き先にリスボンとあるのを見て、(ナ〜ンダ、バダホスからリスボンまでの直行便もあるんだ)と、正直びっくりした。自分の情報収集の拙さを棚に置き、だいたい、こんな情報知らなかったよという思いが先に立つ。

 

もっとも、たとえ知っていたとしても、エルヴァス、エヴォラからリスボンへというルートは変えなかっただろう。既に2度ほど行っているエヴォラはともかくとして、エルヴァスにはぜひ足を留めてみたかった。だからビックリの底にあるのは、選択肢が増えたはずなのにそれができなくて残念程度の悔しさだ。どうせ選ばないなら、関係ないんだけどね。

 

ところで、エルヴァスへは小型のバスで行く。乗客も10人足らずだ。バスターミナルからそのままエルヴァスを目指すのかと思いきや、市内で1ヶ所停まって乗客を乗せた。その後、橋を渡ってから車専用道路に入る。国境超えのことなどすっかり忘れ、時計も合わせないでいるうちに、次第にエルヴァスらしき町が見えてきた。

 

道路の前方、右側にバスターミナルらしき建物も見える。そろそろ到着かと思っていたらそちらには行かず、バスは真っ直ぐ進む。アレレッ?と思う間も無く、右に曲がると坂道を登って行き停車した。

 

町への入り口のようだが、ここが終点なのか?それとも、まったくそれらしくはないが、実はここがバスターミナルなのか、と、頭の中にハテナマークが渦巻く。乗客も、皆席を立ってドアに向かう。

 

バダホスのバスターミナルで私の後ろに並んでいた女性が、ドアの方へ進んで来たので聞いてみたところ、違うという。そのやりとりに気づいた運転手さんが、バスターミナルは次だと言う。すると、私の席の通路を挟んだ反対側の女性も、バスターミナルは次と教えてくれた。

 

バダホス市内の停留所から、大荷物を持って乗り込んで来た女性だ。彼女もバスターミナルまで行くそうだ。そして私に、リスボンへ行くのかと聞いてきたので違うと答えたが、お互い言葉が通じず、推測では話も進まないため会話はそこまでとなった。

 

この女性とは、翌日も道でばったり会った。似ている人だなと思って近づいて行くと、彼女も気づき、手を振ってくれた。小学生くらいのお嬢さんも一緒であった。通じない言葉での会話のはずが、不思議とよく解る。昨日との違いは何って感じだ。でも、人と人とのコミュニュケーションの基本って、まさにこれかなと思う。それもそうだが、真剣に言葉の獲得にも努力しなければと自分に檄を飛ばす。

 

それにしても、バスが町の入り口まで行くこともまた、知らなかった。ガイドブックには、バスターミナルは城壁の外にあるので、市内中心部までは坂道を2、30分歩く・・云々と書かれていた。地図を見ても、確かに遠そうだ。(本ではタクシー利用を勧めているが、私が到着した時はタクシーも見当たらなかった。)もちろんポルトガル国内からのバスということであって、バダホスからのバスは想定していないだろう。

 

でも、バスがここまで来るなら、城壁内に宿を取っても何の苦労もなかったはずだ。荷物を持って坂道を登るのもちょっと大変そうなので、ホテルはバスターミナルの前の通り(幹線道路)を少し先に行ったところにしていた。城壁内のホテルの方がお手頃だったのに、との思いがチラッと頭を掠めたが、次の移動もまたバスなので、結果としては城壁外にして正解であった。

 

ちなみに、私が今回宿泊したホテル(サンタ・ルジア)は、とても良かった。ここへくるまでにも、スペインで泊まった所はどこもスタッフの皆さんの感じが良かったが、ここは更にその上を行くという心地良さであった。

 

私は2泊しただけだが、ここにはプールもあるので、もっと長くのんびり過ごすのもいいかもしれない。但し、観光目的だけだったら、時間を持て余してしまうかもしれない。心身をゆったり解きほぐすのをメインに、見学は散歩感覚でちょっという向きにはまことにぴったりなところだ。

 

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アモレイラの水道橋

 

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アモレイラの水道橋

 

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町への門

 

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城壁の鋭角になっている部分

 

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町への門 

 

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 城からの景色

 

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城からの景色

 

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城からの景色

 

城壁で囲まれた町は、地図で見ていると、いかにも国境らしくその形が特徴的だが、上空から俯瞰する以外、全体を見渡すことはかなわない。実は、ここに来たいと思った第一の理由がこの形であった。国境防衛の最前線に立つ町って、周りはどうなっているのかなと、その地形にも興味があった。

 

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グラサ要塞 中央の山の天辺

 

町の中心レプリカ広場を過ぎ、城の辺りまで坂道を進んで行くと、遠くの山の天辺にグラサ要塞が見える。あの位置から周囲を見張っていたのかと、その場に立ってみたい気もするが、そこまでの距離はかなりありそうで、暑い中歩いて行くのはまず難しい。

 

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サンタ・ルジア要塞 中央奥の緑の部分

 

もう一つの、サンタ・ルジア要塞の方は、バスターミナルの道路を挟んだ丘の上にあって、こちらは歩いても行ける。但し、私が行った時は間が悪く、3時までは見学不可ということで諦めた。前日行けば良かったかなと少し残念。翌日は朝のバスでエヴォラへ移動だ。

 

 

メリダからバスでバダホスへ〜スペイン

メリダには3泊(パラドール・デ・メリダに宿泊)したが、もう1日くらい居たい気分であった。でも、この日は金曜日。バダホス経由でエルヴァス(ポルトガル)へ移動する予定にしているのだが、土日はバスの便がないのだ。

 

かといって、月曜日までの滞在ではやや長い。めぼしい所は、全部行ってしまっている。それに伴い、町の中もかなり広範囲にあちこち歩いている。もし水着でも持ってきていれば、ホテルには小さいながらプールもあるので、リゾート気分であと数日でも過ごせるだろうが。

 

ちなみに、私の部屋からはプールが見渡せるのだが、若い人たちばかりか老夫婦も、プールで気持ち良さそうに水に親しんでいる。何と奥様の方はビキニ姿だ。失礼ながらシワ具合から判断すると、結構高齢だ。でも、シワどころかスタイルさえもまったく気にする様子ではなく、自分が着たい物を着るが徹底している。

 

それは水着だけでなく、街着にしたって同じだ。観光客の皆さんのカラフルな装いに、シックだの年相応だのそんな人の目を意識したファッションなんて蹴散らせという迫力すら感じられた。

 

誰かの目に映る自分ではなく、自分が心地よいかどうかが大切なのですとハミ出したお肉もなんのその、全身で主張しているようで小気味良い。着るものに主体性が窺えるって良いなと思う。私もついふらふらとZARAなどに入って、あれこれ鏡の前で試してしまった。結局、買わなかったけれど。

 

と、余談はさておき、午前10時半のバスでバダホスへ向かった。所要時間は50分ほどだ。メリダからバダホスへは電車でも行けるが、バスに比べるとかなり便数が少ない。

 

バスから見る景色は、これまでとは打って変わって緑豊かな田園地帯だ。畑に植えられている作物が何だかは、正直見当もつかない。それでも、ブロッコリーかな、キャベツかな、などと想像を巡らしてみる。遠目には、プラムのような果樹も見える。もちろん、コウノトリの巣もあって、私の気分は上々だ。

 

やがてバダホスに近づくと、何と集合住宅が次々と現れる。予想外に大きな町だ。ガイドブックで紹介されていないと、何となく小さな町かなとイメージしてしまいがちだ。そのため、バスターミナル周辺もさぞひっそりしているだろうと思っていたところ、店なども結構あって賑やかな雰囲気だ。それもそのはず、後で調べてみたらバダホス県の県都ということだ。

 

エルヴァス行きのバスは午後13時15分なので、約2時間ほど待ち時間がある。その間、バスターミナル構内のカフェで昼食を摂ることにする。ところで、スペインとポルトガルとの間には1時間の時差があるので、到着は12時45分となる。僅か12キロしか離れていないというのに、時差があるとはちょっと不思議な感じだ。


エルヴァスへ続く

 

 

 

遺跡好きにはワクワクのメリダ〜スペインで最大のローマ時代の遺跡がある町

メリダには、ローマ時代の遺跡が多く残されている。だが、今回メリダへ行ったのは、遺跡への興味以上に、マドリッドからポルトガルに抜けるには最短距離のよう思えたからだ。

 

チケットを予約した当初は、ビルバオやセビーリャ、その足でファーロ(ポルトガル)と欲張ったことを考えていたため、帰国の便はリスボンからにしていた。しかし、それでは移動時間が長すぎて、疲れる元ではないかとなった。

 

出発する前、旅そのものを取りやめようかどうか散々迷ったのは、身体の疲れが抜け切っていなかったからだ。それなのに、やたら盛り沢山にして旅先で調子でも悪くなったら最悪だ。そこでルートを再検討した結果、メリダからバダホス経由でエルヴァス(ポルトガル)へ入ることにした。

 

どこを訪れても、その土地にはその土地の良さがあって、単純な私はすぐに大感激してしまうのだが、それに違わず、メリダも良い街であった。といっても、それじゃあ割引しておくかと思ったら大間違い。遺跡ばかりかコウノトリの巣もいっぱいある。オススメの町だ。ちなみにここには3泊。

 

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ローマ橋 (アルカサバより)

 

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ローマ橋

 

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ローマ橋からルシタニア橋方面を

 

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中洲の向こうにハゲ山(多分)

 

実際、荒涼とした景色に飽き飽きした目に映ったメリダは、まさにオアシスの如きであった。グアディアナ川に架かるルシタニア橋の中程から、中洲に繁る木々に群れる鳥たちやローマ橋、それに遠くの山々などを眺めていると、心が潤ってくる。(近くによればハゲ山でも、遠景となれば美しい風景の一部となる不思議)

 

ローマ橋を渡っている時も然り。朝のあいさつに忙しい小鳥たちの声も、耳に心地よい。唯一、暑いのだけが難であった。だが、それも逆に捉えれば、暑いからこそのオアシス感なのかもしれない。

 

それと、ここメリダには信号機が極端に少ない。ルシタニア橋に向かう手前の道路など、それなりに道幅もあり、交通量も結構多いのだが、そんな所でも信号がないので、初めは戸惑ってしまった。

 

誰か渡る人を待って付いて行こうか思案していると、何のことはない、車が停まってくれる。通行人は、歩行者が優先でしょうというように、手を上げるでもなく、ましてや停まってくれた車に頭を下げるでもなくスタスタと歩いて行く。これが、人と車の本来の姿なのかなと思うが、多分、人口密度もかなり関係しているに違いない。

 

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 ところで、紀元前24年に建てられたというローマ劇場は、これだけのものがよく2千年以上も残ったなと感心する。1972年に建築現場から偶然発掘されたというサラゴサのローマ劇場の比ではなく、ともかく規模が大きい。ちなみに、現在でも古典演劇祭の会場として使われているそうだ。ところで、ここにある豊穣の女神像はレプリカで、本物は、すぐ近くの国立ローマ博物館にある。

 

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 円形劇場

 

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また、ローマ劇場に隣り合って、紀元前8年に建設された円形劇場がある。こちらでは、剣闘士の戦いや戦車競技などが行われたそうだ。ここから、更に15分くらい歩くと、もっと広いローマ競技場がある。私は遺跡巡りの共通券を買っていたので、その近くのサン・ラサロ水道橋を見がてら行ってみた。但し、こちらは広い野っ原に所々盛り土があるといった程度なので歩かず、簡単なビデオ上映を見ただけに留めた。

 

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アルカサバ

 

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アルカサバ

 

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誰かの家跡

 

ローマ橋を守るための重要な砦であるアルカサバ(ムーア人によって作られたという)や誰かの家の跡(名前を失念)なども見て回ったが、どこも原形からは程遠い姿であった。そのためか、校外学習の生徒たちを別にすると、訪れる人はまばらであった。メリダでの遺跡の花形は何といっても、ローマ劇場と円形劇場で、観光客の数が圧倒的に多い。

 

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豊穣の女神

 

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博物館地下の発掘現場

 

それらもさることながら、メリダで発掘されたローマ時代の遺物が展示されている国立ローマ博物館は必見だ。見て回りながら一人で、「凄いなメリダ!!」と唸っていた。地下には、ローマ時代の家などの発掘現場がある。ここにも小学生のグループがいて、私に手を振ってくれた。まったく可愛らしいものだ。

 

子どもといえば、メリダでは子守するおじいさんを何人か見かけた。2、3歳くらいの子を遊ばせているおじいさんに、ベビーカーを横に置きベンチに座っているおじいさん。または、ベビーカーを押すおじいさんに、おばあさんが付き添っている例もあった。日本では、おばあさんの子守はよく見かけるが、おじいさん一人でというのは見たことがない。

 

ベンチに座っているおじいさんなどは、通りがかりの人が、入れ替わり立ち替わり(多分)孫をあやしていても、われ関せずという顔をしているのが可笑しかった。それとは対照的に、ベビーカーの中の女の子はとっても愛想が良く、あやされるたびニコニコするので、皆さん足を止めてゆく。

 

少し離れたベンチからその様子を見ていた私は、実際のところ、おじいさんは子守をどう思っているのかなと気になってしまった。今日もお願いしますねと、若夫婦に託され、仕方ないなと出掛けてきたのか、もしくはおばあさんから、お昼の用意ができるまでそこいらを一回りしてきてと出されたのか。

 

まあ、私が気にすることではないが、さすがコウノトリがいっぱい巣作りしている町だけあるわと、妙に感心してしまった。しかしメリダは、本当にいい町だ。

 

 

マドリッドからメリダへ電車で移動〜いろいろ戸惑うこと多き旅なり

マドリッドからメリダへはバスもあるが、所要時間は電車と同じく5時間(特急バスで4時間)だ。バスの方が便数は多い。迷ったが、車窓からの風景に期待して結局電車で行くことにした。

 

何しろ、バルセロナからサラゴサまでのバスも、サラゴサからマドリッドまでの電車(AVE)も、どちらも窓の外には殺風景な景色ばかりが続き、まったくつまらなかった。地理的な問題なのか、それとも新幹線のような高速列車だからいけなかったのかなどと考えた末に、もう一度電車に乗ってみようとなった。

 

当日の朝、駅構内のカフェで朝食を済ませてから、自分の乗る列車は何番線かと確認しに行った。だが、同じ時刻の列車はない。他に電光掲示板は見当たらないしと、探しているうちにセルカニアス駅の方まで来た。(アトーチャ駅には、近郊線が発着するアトーチャ・セルカニアス駅と、プエルタ・デ・アトーチャ駅があり、隣接している。)

 

近郊線のわけはないしと、困ったまま立っていると、自動改札を回り込んだ先のデスクに係員が2人いるのに気づいた。ここで聞いても、あちらと言われそうだしなと躊躇っていたが、誰かがデスクに近寄って質問している。人がいると聞きやすい雰囲気になる。私もすかさず後ろに並んだ。

 

係員の一人が、どうぞと促すので、切符を見せると、アッサリここでいいと言うではないか。私がエッという顔をしていたのか、電光掲示板を指差して教えてくれる。行き先の表示はメリダではないが、確かに10時18分発の列車がある。

 

エスカレーターで下に行き、乗車ホームが掲示されるまで、椅子に座って待つようにと親切だ。そして、デスクの横の入り口を示してくれたので、そのまま中に入る。(*地方行きの一部列車はセルカニアス駅から発車と後で知る。ちなみに手荷物検査はない)

 

発車20分位前に9番線と表示されたので、エスカレーターで更に下の階へ行く。待っていると程なく列車がホームに入って来た。4両編成と短い。私の切符には1号車とあるのに、車体番号は4号車から始まっている。やや不安はあるものの、仕方がないのでその車両に乗り込んだ。

 

座席はどこかと番号を確認していると間も無く、同じ車両に乗って来た女性がいたので、ここは1号車でいいのか聞いてみた。そうだという。これまでは、どこでも車体の番号を見て自分の乗る車両を確認していたので、ちょっと不思議な感じもするが、こういうこともあるのだとこれも良い経験とする。

 

ところで、楽しみにしていた車窓からの景色だが、これは残念ながら期待通りにはいかず、かなり飽き飽きしてしまった。

 

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麦畑

 

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麦畑の中に赤い花の一群

 

出発して1時間ほどは、あたかもローカル線の旅といった感じで、黄金色に波打つ麦畑に、「ゴッホの麦畑だ!」と浮かれたり、「麦の間にあんなに雑草(赤いケシの花や紫色の花)が混じっていて上手く刈り取れるのだろうか」などと余計な心配をしながら、それでも気分はウキウキ、ひたす眺めていた。

 

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ちょっと荒涼とした雰囲気が漂う

 

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 ハゲ山

 

やがて畑が姿を消すと、オリーブの林になる。そして、もっと大きな(多分)樫の木ばかりになってきたなと思っていると、その根元には牛や羊の草を食む姿が見られるようになる。が、次第に辺りは、ポヤポヤした頼りなげな葉をつけた木だけが目立つハゲ山になった。

 

ずっとそんな風景の中を、電車も、上ったり下ったりを繰り返しながらひたすら走っていく。沿線に人家はまったく見当たらず、停車駅も極端に少ない。高原列車かという感じで、遠くには雪を冠した山も見える。それにしても、人の暮らしというものが全然窺えない。家畜が放牧されているのだから、人家はあるはずなのにと不思議な気さえする。

 

乗車してから4時間、ようやくメリダの一つ手前カセレスに到着だ。私と同じ車両にいたほとんどの人が降りたが、乗ってくる人はいない。この電車、本当にメリダへ行くのだろうかと、ちょっぴり不安になってくる。車掌さんも荷物を持って降りちゃったしなという感じだ。でも、検札の時に、乗り換えがあるとも何とも言ってなかった。きっとこの駅で交代なのであろう。

 

そのうち、ようやく2・3人が乗ってきたのでホッとする。どれだけ心配性なんだと笑われそうだが、モンセラットからの帰り道、電車に乗り遅れたことがどうしても頭を過る。だからか、用心深くなっている脳が、この先、荒野のような所で途方に暮れるのは嫌だよと囁くのだ。

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ともあれ、たいくつなハゲ山にウンザリしつつ更に1時間。すると、突如広がる水辺の光景に、メリダはオアシスのような所かもと気分も上向く。

 

しかし、電車は駅の手前で止まってしまった。ホームでもない所で降りるわけないなと思ったが、降り遅れては大変とボタンを押してみる。やはりドアは開かない。

 

心配性が頭をもたげ、別の車両に移動して、ドアの近くに立っている乗客に、ここはメリダかと確認する。そうだと頷くので、そのまま一緒に待っていると、やっと電車が動き出しちゃんとホームに入った。30分遅れの到着なので、都合5時間半かかった。

 

でも駅に降りた途端、「は〜るばる来たぜメリダ〜」と、心配性もどこかへ吹き飛んですっかりご機嫌になる。それにしても32度とは、熱意あふれる(つまり暑い)歓迎ぶりではないか。