照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

ボクはエムエム1歳〜今日トラ子さんが来たよ

今日トラ子さんが来たよ。一緒に遊んで、とても楽しかった。

 

お昼寝から目が覚めたボクは、ハイハイしてお部屋から出たの。するとリビングのドアが開いていて、玄関の方から声が聞こえたんだ。ボクがそっちに顔を向けると、ママと誰か知らない人がいて、ボクの方を見ている。

 

「アラッ、起こしちゃったかな」と言いながら、二人でボクのところまで来たよ。ボクを抱っこしたママが、「エムエム、トラ子さんよ。抱っこしてもらう?」と言ったので、ボクは、慌ててママの胸に隠れたんだ。

 

でも、ちょっと気になる。そっと顔を上げて、ママの肩からのぞいて見た。アレッ?おかしいな。あの人がいない。変だなともう少し首を伸ばしてみたら、あの人も、ママの後ろからそっと顔を出してきた。でも 、目があったら、またすぐに見えなくなってしまった。

 

ウン?何だか面白そう。今度は、反対側からママの背中をのぞいてみたよ。するとあの人も、同じようにこちらをのぞいていたんだ。でも、またすぐ消えちゃった。次はどこから現れるかなと、あっちをのぞいたりこっちをのぞいたりしていたら、あの人がいきなり、「バアッ!」と言って、ママの肩の上から顔を出したんだ。そして、「エムエム君こんにちは。私トラ子。ずいぶんお兄ちゃんになったのね」と言ったの。

 

そりゃそうさ。ボクはお兄ちゃんだよ。なんていったって、一歳になったんだもん。さっきは、ママを探してハイハイしたけど、もう歩けるんだ。でも、トラ子さんって、覚えてないな。きっとボクが、まだハイハイもできないずっと小さな時に会ったのかもしれないな。

 

ところでボクは、ちょっとだけトラ子さんに抱っこされてから、ベビーサークルの中に降ろされたんだ。トラ子さんも入ってきて、「絵本いっぱいあるわね、どれがいいかな」と言って、ボクの意見も聞かずに勝手に読み始めたの。ボクだって、お気に入りっていうものがあるのに。でも、それをどう伝えていいのか解らない。仕方がないからボクは、トラ子さんが持っている本をひったくって箱に入れたんだ。

 

するとトラ子さんは、「アラアラ、次々に箱に入れてしまっているけど、どれも気に入らないのかな?」と不思議そうな顔をする。ボクには、好みがないとでも思っているようだ。

 

ちなみにトラ子さんは、自分のお気に入りの『はらぺこあおむし』を開いて、小さな穴に指をいれようとしている。でもこれは、お出かけ用サイズなので、トラ子さんの指は入らない。残念そうな顔はするが、それでも諦めずに、何度も小指の頭を入れようとがんばっている。ボクの指じゃないと無理なんだけどね。でも今は、『はらぺこあおむし』の気分ではないのだ。

 

トラ子さんは、ボクに読んでくれるというよりも、自分が楽しみたいだけみたいだ。おいおいトラ子さん、ボクだって本を読んでもらうのは好きなんだよ。そこでボクは、お気に入りの本をトラ子さんの方へ出したんだ。

 

「さいだもん?さいだもんって何だろうね?」と言いながら、トラ子さんはページをめくり始めた。するとキッチンからママが、「それ、『1さいだもん』なんですよ」と声をかけてきた。まったくトラ子さん、1の字が見えないのかね。ボクだって、変だなと思ったよ。

 

だいたいトラ子さんは、ペンギンが表紙になっている絵本を広げて、「カラスのエムエム君が」と始めたんだ。たまたま横にいたママが、「アッ、それペンギンだと思います」と訂正したんだよ。それを聞いたトラ子さんはビックリしたように絵を見直してから、「本当だ。黒いからカラスだと思っちゃったけど、よく見ればペンギンだわね」だって。しっかりしてねトラ子さん。本当に、本、読めるの?なんだか、ボク心配になってきたよ。

 

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でもね、ちゃんと読んでくれたよ。その後で、トラ子さんとボクは追いかけっこをして遊んだんだ。柵の上でミニミニ消防車を走らせるトラ子さんが、ウーウーと口サイレンを鳴らしながらボクを追いかけて来るの。ボクは追いつかれないように、ベビーサークルの内側を逃げて行くんだよ。トラ子さんの手が届かない安全なところまで来たら、ボクは積み木の車に腰掛けてちょっと一休み。

 

「アララ、いいところで休んじゃって、それならこっちから行くか」って、トラ子さんが無理矢理奥まで手を伸ばしてきたんだ。ボクは慌てて立ち上がると、また逃げはじめたんだ。あっちへ行ったりこっちへ行ったりしているうちに、今度はトラ子さんが、ドッコイショと椅子に座っちゃったんだ。

 

まだ遊び足りないボクは。ミニミニ消防車を持って、トラ子さんの方に差し出してみたの。するとトラ子さんは、「まだ遊べって?」と言うと立ち上がって、またウーウーと口サイレンしながら、ボクを追いかけはじめたんだ。

 

楽しくて楽しくて、トラ子さんが来てくれて、今日は本当に良かったよ。パパが帰ってきたら、一番にお話してあげよう。でもボクのエムエム語、パパ解るかな。

 

 

 

 

曼珠沙華を見逃したかと焦ったけれど〜いつもの場所でいつものように咲いた花

この1週間ばかり、どこを歩いていても曼珠沙華が目を惹く。スッと伸びた茎の先に、大きく紅い花が鮮やかだ。アラッ?こんなところにもと、思いがけない場所から顔をのぞかせている花に目を留め、早速自分の曼珠沙華地図に加えておく。といっても、記憶の中だけのことだから、来年もまた、「アラッ?」とやっているかもしれない。何れにせよ、歩く楽しみが増える。

 

今年は、曼珠沙華を見逃したのかもしれないと、実はちょっと気になっていたのだ。というのも、ちょうど2週間前(9/1)、日中の涼しさに誘われてあちこち散歩していたら、世田谷城址公園では、既に曼珠沙華が咲いていた。しかも、咲き始めたばかりなのかと思いきや、ほぼ終わりに近かった。蕾など全く無く、これが今年の見納めですよという感じであった。

 

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世田谷城址公園(9/1撮影)

 

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 (9/1撮影)

 

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 草むらにポツンポツンと見える曼珠沙華(9/1撮影)

 

今年は8月から咲いてしまったのか。それにしては、私の近所で曼珠沙華の気配などどこにもなかったのにと、自分がまるで気づかなかったことにガッカリしてしまった。これで終わりってまさか、と信じがたい思いもあって、翌日の朝(9/2)早くから小雨の中を、思い出す限りの場所をあちこち探して歩いた。

 

でも、例年なら、見事な姿を見せてくれるはずの線路ぎわをはじめとして、どこにもその影すら見当たらなかった。その少し前、線路内の伸びた草を刈る作業をしていたから、その時一斉に除去されてしまったのかな。それとも今年の8月は夏らしくなかったから、その影響なのかな。と、あれこれ考え、まったく残念だが仕方がない、来年までお預けだと諦めた。

 

すると何とその数日後、今度は金木犀の香りまで漂ってくるではないか。最初は気のせいかと思ったが、別の所でも香りに気づき、やはり、今年は季節が先取りしているのだろう、これじゃ曼珠沙華に気づかなかったのも無理ないかと思っていた。

 

ところが先週末頃、線路ぎわで刈られたとばかり思っていた曼珠沙華が、何本もその茎をまっすぐ天に向けているではないか。いやあ、これは楽しみと、毎日様子を見ていたら、クリーム色が先ず咲いて、次に紅い花が開いた。

 

ちょうど今が真っ盛りで、まるでガラスの器に活けられているかのように、一列に並んで見事な姿を披露してくれている。そこからやや離れた線路ぎわにも、紅だけの一群があって、それも綺麗だ。 但し、線路内ということもあって近くまでは行けないため、写真には撮れない。自分の目に、しっかり焼き付けておくよりない。

 

ところで、2週間前にセッセと探し歩いても見つからなかったのは当たり前と、今を盛りと競うように咲く花々を見ながら納得。今年も、いつもの場所でいつものように、つまり順当に曼珠沙華を見ることができて良かった。それとも、早咲き?(なんてあるのかどうか解らないが)の花を見て焦った私が、単に粗忽者だったということか。

 

 

ミケランジェロの《最後の審判》に手が加えられていたなんてビックリ!

この5月に、バルセロナのカテドラルとエヴォラの博物館で「受胎告知」を見た時、驚きを顕わにする(ように見えた)マリアの表情に、どちらもずいぶん似た雰囲気だなと思った。これまでも各地の教会や美術館を訪れるたび、「受胎告知」でマリアがどのように描かれているかに着目してきて、ついツッコミを入れたくなるような絵もあったが、その中でもこの二点はかなりユニークに感じられる。

 

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 この絵は、以前も同様のことを書いたが繰り返すと、「アレッ、マア!なぜに私が?」というセリフを入れたくなるような顔つきをしている。

 

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またエヴォラの彫刻は、大天使ガブリエルの顔が何ともユニークで、「言われたからここに来たけど。まったくなあ」と、マリアに同調してやや困惑気味にも感じられる。

 

いつ頃の作品か記録してこなかったので正確には判らないが、多分、イベリア半島イスラムが支配した後、さらにキリスト教徒によって再征服(レコンキスタ)されて以降(13世紀)だと思われるが、それにしてもこれは稚拙すぎやしないかと思う。

 

 宗教画は、制作者の好みに任されているだけで、依頼者側からは、何らかの基準は示されないのかとやや疑問すら覚えた。また、手本になるものがなければ制作するのも難しいだろうから、制作者はテーマに沿った絵をどこかで目にしているはずだ。だから、バルセロナのカテドラルの受胎告知と似通っていても不思議はない。

 

これらを目にして以来、宗教画は、どのような流れでイベリア半島にもたらされたのだろうと気になっていた。だが、ローマ遺跡絡みで、まずはローマが支配していた時代及びその後の地中海世界関連の読書に没頭していたため、そこまでは手が回らなかった。

 

それらが一段落してみれば、何とタイミングがいいことに、『聖母像の到来』(若桑みどり著・青土社・2008年)を図書館の書架に見つけた。これは、先に読んでいた同じ著者の『クアトロ・ラガッツィ』とも重なるテーマだ。

 

この研究の主題は序論によると、

"本書は、十六、十七世紀における近代世界システム構築期において、東アジアに進出したポルトガル/スペイン国家の世界制服/世界市場形成に随伴してカトリック教会が行なった布教活動によって、日本にもたらされた十六、十七世紀のキリスト教美術を問題にする。"(P・9)

 

ということだが、当然ながら、日本に入ってくる以前の宗教画についても詳しく記述されているので、私が知りたかったことの手がかりもあるかなと読み始めたらいきなり、

 

"《最後の審判》は完成直後から多くの反論にさらされた"(P・65)にエッとなった。しかも、"全面破壊されそうになった"とあるではないか。今では、世界中から人々を呼び寄せているヴァチカン・システィーナ礼拝堂ミケランジェロの作品にそんな危機があったとは、とまったく驚かされてしまった。

 

ちょっと長いが、トレント公会議(イタリア・トレントで1563年に行われたカトリック教会の公会議)でのその部分を引用させて頂く。

 

"トレント公会議はその最後の第二十五盛会議で聖画像の根本的な粛清を決定した。その内容は卑猥、不合理、不適切な画像を否定し、正統的、教義的、歴史的に正確な、また正直な画像を勧め、聖堂への画像の設置にあたっては聖職者の検閲を必要とするというものであった。・・・実際に、閉会直後の一五六四年一月二十一日、トレント公会議委員会は、《最後の審判》の一部を覆うことを決定した。・・・そしてピウス四世は作者の死後、ようやくダニエーレ・ダ・ヴォルテッラにもっとも「猥褻な」部分を描きなおさせた。このとき恥部を布で覆ったために、この画家は「ブラゲットーネ(大ふんどし)描きの異名を負うことになった。過酷な審問官出身のピウス五世はさらに凡庸きわまりない二人の画家にブラゲットーネを追加させた。・・・グレゴリウス十三世さえもが、全面破壊を考え・・・。グレゴリウスは、《最後の審判》を破壊して別の二流の画家に「天国」を描かせる意図を持っていた。彼に続くシクストゥス五世もフレスコ描きのチューザレ・ネッピアに「恥ずかしいところ」を覆わせた。"(P・64~6)

 

ここには、全面破壊を考えたグレゴリウス十三世が、その当時ローマにいたエル・グレコに相談したエピソードなども出てきて、関係者の皆さんが相当悩まれた様子が窺える。しかし、破壊されなくて本当に良かった。

 

また一方では、著者いうところの"二流の画家"が「天国」を描いていたらどんな絵になっていたのかなと、ミケランジェロの作品は破壊せずそのままにしておき、別の場所に描かせていれば、見比べることもできて面白かったかもしれないなんて考えも浮かぶ

 

まだこの本の途上ながら、ミケランジェロの《最後の審判》があわや破壊されかねなかったということに驚き、急ぎ取り上げてみたが、もしかすると、これは私が知らなかっただけで衆知の事実なのかな。

 

しかし、ミケランジェロだって、まさか自分の死後、すぐさま絵に手が加えられたなんて思いもよらなかっただろうな。それこそ、大天使ガブリエルのビックリ顔そのままに目を見開いて絶句したかもしれない。このようにいろいろ愉快な想像をしていると、絵を見るのがますます楽しみになってくる。

 

ところで気になる「受胎告知」だが、こちらも、ルネサンス以前とトレント以降では異なっているという。「受胎告知」がどのように描かれてきたかについては、P・190〜206までのページに詳しい。ご興味のある方はぜ一読を。ちなみに、カラヴァッジォやエル・グレコの絵も取り上げられている。

 

本を読んでいると、トレント以前のそれぞれの時代に描かれた「受胎告知」について更に知りたくなってくる。そして叶うことなら、改めてそれぞれの「受胎告知」を見て回りたいものだ。まったく楽しみは尽きない。

ヨルダン土産のデーツはちょうど干し柿のような味〜美味しい

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 デーツ(ナツメヤシ) 箱と共に

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デーツ

 

ヨルダン土産のデーツ(乾燥ナツメヤシ)、私は初めて食べたのだがとっても美味しい。この味には覚えがあるが、はて何だったかなと2つ目を口に入れているうちに、そうだ干し柿だと思い出した。ねっとりとした濃い甘さだけれど、この自然の甘味は私好みだ。でも、さすがに3個も食べたら十分満足した。

 

ちなみにデーツについて調べてみると、ずいぶん栄養価が高い。嬉しいことに、繊維や鉄分も豊富だ。しかも、あのオタフクソースにも使われているという。また、こちらではオタフクごちそう便なるもので、デーツの通販もやっているだけあって、デーツについても詳しい。というわけで、オタフクソースさんのホームページから引用させて頂くと、

 

"デーツは、イスラム教の聖典コーランに「神の与えた食物」、旧約聖書には「エデンの園の果実」と記載されており、ハムラビ法典に記載されている果実もデーツであると言われています。紀元前数千年も前から灼熱の地域で暮らす人々の健康を支えてきました。"
(デーツとはより)

 

「神の与えた食物」とまで称されるのだから、デーツは、古くからかなり重要な位置づけであったことが窺える。"灼熱の地"でも、ちゃんとその地にあった、しかも栄養がつまった植物が育つというところが、まさに神の恵みなのだろう。また、生で食べても美味しいらしいが、こればかりは、旬を狙って現地に行くしかなさそうだ。

 

"デーツは砂漠の過酷な条件で育成します。その生命力の強さから「生命の木」と呼ばれ、栄養価の高い果物です。鉄分、カルシウム、カリウムなどのミネラルや食物繊維が豊富に含まれ、その含有量は果実の中でもトップクラスです。"(デーツの力より)

 

とあって、ずいぶん優れものの食品なのだと、改めて感心してしまう。結局この日は、デーツが気に入り、後でもう数個つまんでしまったが、高価な干し柿同様、もっと大事に食べればよかったと反省。


ところで、ペトラ遺跡(ヨルダン)やエルサレム(イスラエル)を旅してきたのは次男だ。二千年前の遺跡と聞き、もしや古代ローマとも関係があるのかと思ったが、それ以前に作られたものだという。

 

ちょうど先月、古代ローマヴェネツィア及び地中海世界について読み終えたばかりだが、ヨルダンとかペトラと聞いてもピンとは来ず、エルサレムの近くと言われ、もう一度本を開いて、ようやく位置関係が掴めた次第。ついでにポンペイウスの項を読み返せば、確かに、ペトラに攻め入ったとある。ちなみに、ローマの属州になってから作られた劇場は、今も現存しているそうだ。

 

また、エルサレムで撮った写真(ゴルゴダの丘までの「悲しみの道」等)を、ここでキリストがつまずいたとか、汗を拭ってもらったとかの説明を聞きながら見ていると、500年以上も前、ヴェネツィアが催行した聖地巡礼パックツアーのことなどが思い出されてくる。飛行機で気軽に行ける現代に比べ、当時の旅の困難さを思えば、感激もまたひとしおであったに違いない。

 

そして、不意に、聖地巡礼とはこういうことかと、昨今の人気アニメや映画の舞台となった場所を訪ねる旅に納得する思いであった。これまでは、そのようなニュースに接するたび、何のためにわざわざその場所を見に行くのかが今ひとつピンとこなかったのだが、多分、実際にその場に立って思いを共有するという、その経験が大事なのだと解る。

 

事実か、作り事の世界かには関わらず、追体験することで、対象とする人物、あるいはキャラクターへの思いを深めていくのだろう。例えばゴルゴダの丘までの順路にしたって、まったく関心のない者からすれば、誰がどこでどうしたか等は、聞いた場限りの事になってしまうだろう。だが、そうでない人にとっては、その労苦に想いを馳せ、教えを新たに心に刻むことに繋がるのかもしれない。おまけに、今やレンタル十字架まであるという。

 

そういえば、『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』を読んでいた時、なぜそれがと思うような様々な聖遺物があることにちょっと驚いたが、それと同様に、キリストに因む品、まして十字架は、もしそれが商売上の目的からレンタルされているとしても、ぜひとも背負ってみたくなる物なのだろうなと想像できる。

 

しかし、イエス・キリストについてその生涯を知らなければ、各国の美術館や教会に飾られている数多くの宗教絵画も、あの有名な誰それの絵かと、描いた人の技量にただ感嘆するのみであって、肝心な絵の題材にまでは思いが至らずに終わってしまいかねない。それよりも、ある程度の基礎知識を持って絵の前に立てば、見方がぐんと広がるだろう。

 

そして、更に舞台となった地を訪ねたら、まさに聖地巡礼だが、これまで見知った絵画に対しても、別の感想が湧いてくるかもしれない。と、こんなことを言う私だって、ピーテル・ブリューゲル描く『ベツレヘムの戸籍調査』に、実際のベツレヘムの地を重ね合わせることはなかった。

 

でも今回、エルサレムの写真を見て初めて、私の中でそれぞれ独立していた絵画が、ようやく一連の話に結びついた気がする。今まではどうしても、物語は単なる題材としてしか感じられなく、絵は絵としてのみ見てしまっていた。

 

所詮絵は好みの問題、好きに見ればいいよと長いこと思っていたけれど、やはり、背景や約束事を知って見るのとでは、感じ方もだいぶ違ってくるかなと、遅ればせながら考えた次第だ。

 

ところで、イスラエルキリスト教だけでなく、ユダヤ教イスラム教の聖地でもある。これらについては、『ローマ人の物語』など合わせて読むと、より良く理解できる。

 

デーツから、想いはさまざまに飛んでしまったが、そのデーツの実る地からユダヤ教が起こり、そしてキリスト教イスラム教へと派生したことを考えると、更にいろいろな方面へと興味が広がってゆきそうだ。しかしお土産も、私がちょうど本を読み終えるのを待っていたかのように届き、まったくタイムリーであった。

 

噂に惑わされず、さらに惑わす側にならないためにはどうすべきか

寺田寅彦が、関東大震災が起きた翌年の1923年9月に、流言蜚語の伝播を燃焼の伝播になぞらえ、それらが広まることへの責任は市民自身にあると書いていたと知り、早速その文を読んでみた。

 

ちなみに、寺田寅彦って誰?と思われるかもしれないが、正直私も、詳しくは知らない。明治生まれの物理学者で随筆家、夏目漱石の門下生であったことから、『吾輩は猫である』の水島寒月及び『三四郎』の野々宮宗八のモデルと言われている。それに加え、作家安岡章太郎の親戚ということで、父章を題材にした随筆にその名が出てくるのを覚えているくらいだ。

 

つまり、著書の一冊も読んだことがなく、自分の好きな作家の文章を通してその人物を知った気になっているだけだが、それでも、寺田寅彦と聞くとなぜか親しみを感じる。と、何の足しにもならない話はさておき、"伝播"について引用させて頂く。

 

" 最初の火花に相当する流言の「源」がなければ、流言蜚語は成立しない事は勿論であるが、もしもそれを次へ次へと受け次ぎ取り次ぐべき媒質が存在しなければ「伝播」は起らない。従っていわゆる流言が流言として成立し得ないで、その場限りに立ち消えになってしまう事も明白である。


それで、もし、ある機会に、東京市中に、ある流言蜚語の現象が行われたとすれば、その責任の少なくも半分は市民自身が負わなければならない。事によるとその九割以上も負わなければならないかもしれない。(寺田寅彦『流言蜚語』青空文庫より)

 

ごく普通の、多分善良なる人々は、背後に隠された意図など疑おうともせず、ただ流れてきた言葉を鵜呑みにして、まして自分が、"次へ次へと受け次ぎ取り次ぐべき媒質"となっていることなどまるで意識することなく、伝播する一人になってゆくのだなと改めて考えさせられる。

 

だから遥か二千年前から、"いつでもどこでも有効であった作戦"と『ローマ人の物語』の著者いうところの、噂を広めて政敵、あるいは邪魔者の失脚を計るということが繰り返し行われてきたのだろう。そして、その"有効性"に頼ろうと試みる状況が今なお変わらないのは、ここ数ヶ月の国内での報道を振り返れば明らかだ。

 

ちなみに、紀元前のローマでの一例をあげると、市民目線に立ち、農地改革に取り組んだガイウス兄弟の場合も、兄ティベリウス、後に弟ガイウスが、元老院の噂作戦にやられている。本音は、自分たちの利益に反する改革など以ての外とスクラムを組んだ元老院だが、そんなことはおくびにも出さず、市民が反感を覚えるような噂を巧妙に流したそうだ。

 

"護民官ガイウスの政策は、票集め、人気取り政策、権力の集中、権力の私物化であるという声を広めた。現代イギリスの研究者の一人は、次のように書いている。「無知な大衆とは、政治上の目的でなされることでも、私利私欲に駆られてのことであると思いこむのが好きな人種である」

好きなのは無知な大衆にかぎらないと、私ならば思う。これより七十年後の話になるが、ローマ史上最高の知識人であり、私の考えでは最高のジャーナリストでもあったキケロでさえ、この種のことが「好きな人種」の一人であったのだ。要は、教養の有無でも時代のちがいでも文化のちがいでもない。目的と手段の分岐点が明確でなくなり、手段の目的化を起こしてしまう人が存在するかぎり、この作戦の有効性は失われないのである。"(『ローマ人の物語勝者の混迷 [上]6』塩野七生新潮文庫・P・90~91)
とおっしゃる。

 

ちょっと解り難いが、"この種のことが「好きな人種」"は、"教養の有無でも時代のちがいでも文化のちがいでもない"となると、"媒質"になるのを避けるためには、結局、何事も自分で考え、確かめるのを習慣づけるしかないなと思う。

 

しかし厄介なのは、噂は大なり小なり、なぜかこちらが乗りやすいタイミングで耳に入ってくるということだ。まったく関心のかけらもなければ、たとえ巧妙であったにしろ、聞いてもただのフ~ンで終わってしまう。

 

だが、多少なりとも心に引っかかる時は、自分はなぜそう感じるのか、まず自分の精神状態をじっくり観察する必要がある。と同時に、相手(個人でももっと大きな規模でも)は、何のためにそのようなことを言うのだろうと考えてみることも大事だ。

 

知らずに流言飛語の"伝播"を担うのは嫌だが、かといって、話の真偽をいちいち深掘りするのも面倒となれば、信長の時代、日本にやってきた巡察師ヴァリニャーノ言うところの、"日本人は天候とかその他のことを語り"(若桑みどり著『クアトロ・ラガッツィ 』上巻より)を、そのまま受け継ぐよりないかな。

 

でも、それではあまりにつまらなさ過ぎる。まして同じような気候が続いたら、すぐにネタ切れとなる。それに、誰かと言葉を交わすことがなくても、ニュースの類は始終目に触れる。おまけに、ネット上や紙媒体の書籍はもちろん様々なメディアには、正反対の意見が溢れていて何が何やらという感じで、参考にしていいものやら余計に悩む結果となる。

 

それでも、

"科学的常識というのは、何も、天王星の距離を暗記していたり、ヴィタミンの色々な種類を心得ていたりするだけではないだろうと思う。もう少し手近なところに活きて働くべき、判断の標準になるべきものでなければなるまいと思う"(流言蜚語より)

 

と、寺田寅彦も言うように、たとえ手間でも、"科学的常識"なども駆使しつつ、精一杯頭を働かせ、あるいは、自分が納得いくよう、根拠となる元まで遡って調べたり、考えたりするしかないだろう。

 

噂に惑わされず、また惑わさずを実行するのは、流れの早い小川に、ゆらゆらしつつもしっかり立っているイメージだ。小川だからといって油断していると、足をすくわれかねない。踏ん張っているのも大変だが、流されないためにはそうするしかない。

 

 

 

 

 

スキピオ・アフリカヌスにはつい肩入れしたくなる〜『ローマ人の物語』

未読であった『ローマ人の物語 』(塩野七生著・新潮文庫)のうち、「ローマは一日にしてならず(上・下)」と「ハンニバル戦記(上・中・下)」が面白くて、一気に読んでしまった。

 

象を連れたハンニバルのアルプス越えは聞いたことがあっても、何のためにそんな無謀とも思えることを決行したのか、どこからどの道筋を進んだのか等、これまで関心すら湧かなかったそれらのことに、グイグイのめり込むようにページをめくっていた。

 

ハンニバルの戦術に感心するよりも、会戦ではまったく歯が立たないローマ軍にやきもきしてページを飛ばしたくなったり、でも、やがてハンニバルを破ったことから後にアフリカヌスという尊称で呼ばれることになる若者スキピオ(プブリウス・コルネリウススキピオ)の出現に気を取り直してみたりと、すっかりローマびいきになってしまった私は、話の進み具合に感情面が振り回されっぱなしだ。

 

ところで、その晴朗さで、出会った誰をも惹きつけてしまうというスキピオは、戦術もハンニバルのやり方を踏襲しているだけあってなかなかの知将だ。

 

"スキピオは、戦術家としてならば、ハンニバルに大きく一歩を譲ったかもしれない。だが、政治家としてならば、彼のほうが上であったと私は思う。"(『ローマ人の物語 ハンニバル戦記 [下] 5』P・134)
と、著者もいうように、交渉ごとにも優れていたらしい。

 

そして、第二次ポエニ戦役以来長いことローマを悩ませてきたそのハンニバルを、ザマの会戦で破る。しかも、元老院では反対されたが、適地カルタゴに乗り込めば、南伊に陣取っているハンニバルを誘い出せると読んだスキピオの目論見が当たったのだ。

 

その後、シリア戦争にも担ぎ出され、(10年の間を置かなければ執政官になれない決まりにより、兄ルキウスが執政官となりスキピオは参謀として)ローマ側が勝利を収めた。

 

なかなかの人物であったらしいスキピオも、

"他者よりも優れた業績を成しとげたり有力な地位に昇った人で、嫉妬から無縁で過ごせた者はいない。・・・嫉妬は、隠れて機会をうかがう。"(P・136)
ということで、帰国後裁判にかけられる。

 

表向きは、対シリア戦のローマ軍最高司令官である兄ルキウスへの、使途不明金の追求ということであったが、告発側の目標が自分の失脚であることをスキピオは知っていたという。その背後にいたのが、反スキピオ派のリーダー格である、マルクス・カトー(曽孫のカトーと区別するため、後年は大カトーと呼ばれた)であった。

 

読みながら、後に、ユリウス・カエサルにことごとく反対するカトーのことなども思い出され、まったくカトーの家系は困ったものだとため息をつきたくなる。だが実際私は、どちらのカトーのことも、この一連の『ローマ人の物語』で知る以外、何も知らないのだ。にも関わらず、カトーに反感を覚えている。

 

だが著者は、
"過去よりも未来を見る傾向が強かった"スキピオと、"過去を常に振り返っては今のわが身を正すタイプ"のカトーとでは、

 

"この両人の対立は、あらゆる面から、宿命的ではなかったかと思われる。
そして、カトーよりもスキピオに好意をもつ私のような者には実に残念なことだが、スキピオの死のわずか四年後に・カトーの心配は当たってしまうのである。"(P・156)

とおっしゃる。

 

ここまできて、自分がスキピオに肩入れしたくなるのも、著者の観点に沿っていたからだとようやく分かる。そして、一人の考えに、このようにどっぷりと染まってしまってはアブナイなとも思う。様々な資料を丁寧に読み込んで、かつ史実に忠実だとは思うが、書くに当たっては、自分なりの見方で新たに組み直しているはずだ。

 

だから挿入されるエピソードも、書き手によって異なるだろう。何をどう取り上げるか、そこには当然好みが反映される。読み手もまた、その好みにかなり左右されるはずだ。歴史を題材にした読み物にも同様のことが言えるが、読み手は常に、(いや待てよ、他の見方もあるかもしれない)のハテナマークを頭の片隅におく必要があるなと思う。

 

ちなみにエピソードといえば、ザマでの会戦の数年後、偶然にエフェソスで出会ったというハンニバルスキピオとの会話も興味深い。

 

我々の時代でもっとも優れた武将は誰かと問われたハンニバルは、一番目にマケドニアアレクサンドロス、二番目にエピロスの王ピュロス、三番目に自分の名をあげたという。その答えに思わず微笑したスキピオが、"「もしもあなたが、ザマでわたしに勝っていたとしたら」"(P・82)と聞いたところ、自分が一番目にくると答えたそうだ。

 

このハンニバルという人物についても、もっと知りたくなるが、残念なことに資料があまりないそうだ。

 

ともあれ、この本は文庫で全43冊という大作だが、単なる歴史書を読むよりもずっと面白い。おまけに地理、歴史はもちろんのこと、人心掌握といった心理面から政治的なことまで幅広く網羅しているので、勉強するつもりなどなくとも自然に学べてしまう。気になる巻だけでもぜひどうぞ。

 

 

 

勉強に気乗りがしない、もしくはすぐに飽きちゃう場合〜この方法をぜひどうぞ

自宅では気が散るから図書館で勉強しようといざ出かけてはみたものの、何だかイマイチ気乗りしないなぁ、もしくは、30分くらいで早くも飽きちゃったなという時、気分転換とばかりにスマホをのぞくのは絶対にダメ。

 

結局、机に向かっている時間の大半をスマホいじりで過ごしてしまうことになる。さもなければ、スマホの次は眠気が襲ってきて、結局、ノートを広げただけで終わってしまうことにもなりかねない。これは、私が図書館で、周りの皆さんを見て日頃から感じていることだ。

 

ではどうすればいいか。先ず、ノートに、テキストを一字一句ゆっくりと書き写してゆく。できるだけ丁寧に、きれいな字を書くよう心がけてみる。勉強という感覚ではなく、文字に意識を集中させて、ある程度の時間が経過するまではそれを続ける。文字を追っているうちに、内容も頭に入ってくるようになるから不思議だ。そして気づけば、勉強そのものにすっかり集中しているはずだ。


どこをどう探してもやる気なんて見つからないから困っているのに、そんなの無理と決めつけずに、とりあえず試してみてほしい。私は今、スペイン語の独習に勤しんでいるのだが、ちょっとやる気がでないなという時に、偶然この方法を思いつき、自分にはとても効果があったので、もし誰かのお役に立てればと披露してみた次第。

 

勉強している科目によっては多少自分なりの工夫が必要だと思うが、大概の場合に当てはまると思う。力を入れずに、ゆっくり丁寧に書くというところがミソだ。私の経験からすると、脳は、負荷が掛かることを避けたがる傾向があるけれど、(これは勉強ではありませんよ、ただ文字の練習ですよ)と脳を油断させると、拒否反応がほぼ緩和されるようだ。

 

脳科学には無知な私なのであくまで勝手な思い込みだが、やる気がでないというのも、エネルギーを使いたくない脳が抵抗しているのではないかと、推測している。だから、(脳が疲れることなんて何もしませんよ、とっても簡単なことだけですよ)と、いわばフェイントをかけるのだ。

 

これが功を奏すると、1時間半か2時間くらいすぐに経ってしまう。そうしたら、5分か10分ちょこっと休憩。この時も、スマホを触るのは厳禁だ。せっかく高まった集中力が途切れて、また最初からやり直しだ。かといって休まずにいると、頭が疲れすぎてしまうし、血流も悪くなるので、メリハリをつけるためにも休憩は必要だ。

 

トイレへ行ったり、書架の間を歩いたりと身体を動かしてみる。ついでに、椅子に座ったまま、左右に身体を捻ったり、上体を後ろへ反らしたり、軽く頭を揉み解したりしてみる。もちろん、周りに人がいる場合は、ぶつからないように配慮が必要だ。

 

ある時、私がこのストレッチをしていると、隣に座った中学生くらい女の子も、効き目がありそうに思えたのか、こちらの真似をして首回しなどしていて、微笑ましかった。勉強を持続させるには、凝りを取り除いて血流を良くしておくことも重要なので、これはおすすめだ。ちなみに、その日の凝りは、その日のうちに解消が私のモットーだ。

 

また、図書館だから静かということもなく、高らかに鼻をすすりあげる人を筆頭に、耳触りな音を立てる人は結構多い。そんな場合は、それらの音に合わせ、(ウルセッ、ウルセッ)と合いの手を入れるように心の中で呟いてみる。決して声を出さずに、例えば、「ズルッ」に対し(ウルセッ)とただ同じ言葉を繰り返すだけだ。これが、意外に効果的で、いつしか雑音も気にならなくなる。

 

 ところで、そんなに勉強好きだったのと感心するに及ばず。決して自慢できることではないが、身につくまでは人の数倍も掛かるので、それなりに時間が必要なだけだ。道遥かなりかな。