照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

感動の『最後の晩餐』 ミラノにて

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ミラノ  ドゥオーモ
 
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ドゥオーモ内部  ステンドグラス
 

2014年4月はミラノに行った。須賀敦子さんの『ミラノ霧の風景』を読んで以来、いつかは訪ねたいと思っていたがこれという目的はなかった。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会付属のドメニコ派旧修道院の食堂に描かれたレオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』も、見られたらいい位の気持ちであった。

 
鳴門の大塚国際美術館で陶版画による『最後の晩餐』を見た時、修復後の方は鮮やか過ぎて違和感を覚えた。修復前の作品には年月が絵に与えた陰影があり、それが見る私の心へも響いてきた。そのため、実物を見る事にさほど期待もなかった。
 
この絵を見るためにはるばるやってきても、チケット引き換えの時刻に遅れたら絶対入場できない。私は場所を下見しがてら、昼頃チケットを貰っておいた。
 
個人手配で予約出来ず、代理店枠を期待して頼んだチケットは、ミラノへ到着した日の6時45分からの最終回であった。希望した他の日はどの時間も全て空きがなく、ようやく取れた貴重な1枚を無駄にはしたくなかった。
 
現に私が引き換えを待っている間も、数人が無駄足となるのを見た。係員にどれほど訴えようとも駄目であった。20分前には行くようにと代理店からのメールにも書かれていたが、これほど厳しいとは驚いた。
 
中に入るのも厳重で、その回の全員が入ると入口のドアが閉まり、やや待ってから次のドアが開く仕組みを2度繰り返してやっと絵のある食堂へ入る事ができる。
 
中に入って絵を見上げた途端、深い感動に包まれた。描かれた場所で見てこそ生きる絵があると思った。高い天井や窓からの光を考えて描かれた絵の前では、色の鮮やかさがむしろしっくりきた。絵全体を、15分の間見続けていた。先入観により、これを見逃すところであった。
 
昂ぶった思いのまま外に出れば、チケット引き換えに間に合わなかったのか、またもや係員に訴える人がいた。どれほどたくさんのうっかり者がいるのかと驚きつつ、自分が見られた事に改めて安堵した。
 
午後7時でもまだまだ明るいが、長旅の疲れを休めようと急いでホテルへ戻る事にする。明日は、日帰りベネツィアの旅が待っている。体調を整える必要があった。