照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

アンコールワットへ バンティアイ・スレイに東洋のモナリザを求めて

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中央 護衛の後ろには東洋のモナリザ
 
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 精緻なレリーフ
 
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 デバターのレリーフ
 
2012年11月下旬にアンコールワットを訪れた。中学生の時に、一冊の本に出会って以来の夢であった。だが台湾に故宮博物院を訪れた折、自分に暑い国は向かないと思った。それ以降、韓国以外のアジアには縁がなかった。
 
その韓国へも、国立博物館へ陶磁器や半跏思惟像を見に行くために、むしろ寒い時期を選んでいた。暑さよりは湿度の高さがもっと苦手であった。それが、次男の「夢なら先に叶えろ」の一言で行くことを決めた。  
 
バンコク乗り換えでシュムリアップに到着したのは、午前十時頃であった。ホテルまでタクシーで向かう。セールス巧みなドライバーさんは、価格表を提示しながらタクシーでの観光を勧める。私は、東洋のモナリザを見にバンティアイ・スレイに行きたかった。料金を聞いてみると、日本で調べてきたツアー価格より安いのでお願いする事にした。 
 
予約していたソカアンコールリゾートに着くと、部屋を用意するまであと20分程待ってくれという。ジムの更衣室をお借りして着替えを済ませ、荷物を預けて出かけることにした。
 
約1時間程でバンティアイ・スレイに到着する。初めてみるカンボジアの光景は、貧しさそのものであった。内戦に続きポル・ポト政権の暗い時代を経て再生されつつある国は、今尚あちこちに破壊の痕跡が残されていた。
 
道路には大きな穴があいたままであった。牛も犬も一様に痩せている。それともそれが特徴の牛なのかは私に判別がつかないが、少なくとも日本の牛とは異なっていた。田圃の中にぽつりぽつりと、高床式の住宅が見える。椰子の木と相まって趣はあるが、旅情を誘うよりは人々の暮らし向きに気がゆく。 
 
東洋のモナリザと呼ばれるデバターは、ロープで囲われていて、更にその回りを河童のような護衛が守っていて、よく見えなかった。デバターのレリーフはいろいろなところにありどれも同じように見えるので、自分なりの東洋のモナリザを想像しておいた。
 
967年建立のこのヒンドゥー教寺院は、紅色砂岩と赤土で作られており「女の砦」という意味を持つらしい。だいぶ崩れてはいるが、その印象的な色と精緻なレリーフが心に残る。
 
うっかりして日傘を忘れたため、サンバイザーだけでは日差しは暑すぎた。流れる汗を拭きながら一回りしたところで、待ち合わせの駐車場へ向かうことにする。ドライバーさんを探せば、持参のハンモックで心地良さそうに横になっていた。もう少し時間がかかると見ていたのだろう。
 
その後数箇所の遺跡を回ってもらったが、真昼の太陽の下で遺跡の階段を登る気は失せていた。日陰がありそうな場所をほんの見学程度で済ませ、早々に車に戻った。冷房が効いた車内は有難かった。トゥクトゥクにしないで良かったと思った。翌日もお願いすることにして早々にホテルへ引き上げる。第一日目はこうして過ぎた。