照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

力強い言葉 茨木のり子の詩から

f:id:teruhanomori:20141225172048j:plain

茨木のり子詩集は、10代の頃手に入れて今尚持ち続けている大事な一冊だ。折にふれ、それぞれの詩から言葉を拾い読みしている。ユーモアに包まれた鋭い言葉は、全く古さなど感じさせない。暗い時代を生きてきた人の、その時代を繰り返さない明日にしようという強い決意を秘めた言葉に惹かれる。

私は、刺激が強すぎる言葉が苦手だ。巷には、強過ぎる物言いや乱暴な言葉、汚い言葉で書かれた記事が溢れている。刺激は更なる刺激を求めて、どんどん過激になってゆく。劇薬のような言葉は、読む者に軽い興奮を起こし、一時的にはカンフル剤のごとく作用するだろう。

だが、本当に人の心に染み込み、変革をもたらす言葉となるだろうか。それ以前に、むしろ使う人の感性を鈍らせてゆくように思えてならない。薬は毒にもなるという事を肝に銘じて、効果を狙って稀に使用する場合でも、細心の注意を払いたい。できれば、茨木のり子の詩のように、スマートに使いたい。例えば「準備する」という詩のように。(現代詩文庫20  茨木のり子詩集 ・思潮社・P25)
    
   〈むかしひとびとの間には
    あたたかい共感が流れていたものだ〉
     少し年老いてこころないひとたちが語る

中省略

     弱者の共感
     蛆虫の共感
     殺戮につながった共感
     断じてなつかしみはしないだろう
     わたしたちは
   
戦火の時代の、見知らぬ人とのささやかな連帯をなつかしむ人々を、バッサリ切って捨てる小気味良さがある。猛火の下を逃げまわらざるを得なかった日々を、被害者意識だけでは済まさせない厳しさがある。そして

   わたしたちは準備することを
   やめないだろう
   ほんとうの  生と
                       死と
                       共感のために

と結ぶ。
このような力強い言葉は、自ら考えて行動しようと覚悟を決めた人からのみ放たれる。ただ思いつくままの感情むき出しの言葉からは、何も生まれない。誰もが自分の言葉で、発言すべき時には声を上げる勇気が持てるようにと願う。その状況は人それぞれに異なるが、その日のために準備したい。人に届く言葉を発するために。