力強い言葉 茨木のり子の詩から
私は、刺激が強すぎる言葉が苦手だ。巷には、強過ぎる物言いや乱暴な言葉、汚い言葉で書かれた記事が溢れている。刺激は更なる刺激を求めて、どんどん過激になってゆく。劇薬のような言葉は、読む者に軽い興奮を起こし、一時的にはカンフル剤のごとく作用するだろう。
だが、本当に人の心に染み込み、変革をもたらす言葉となるだろうか。それ以前に、むしろ使う人の感性を鈍らせてゆくように思えてならない。薬は毒にもなるという事を肝に銘じて、効果を狙って稀に使用する場合でも、細心の注意を払いたい。できれば、茨木のり子の詩のように、スマートに使いたい。例えば「準備する」という詩のように。(現代詩文庫20 茨木のり子詩集 ・思潮社・P25)
〈むかしひとびとの間には
あたたかい共感が流れていたものだ〉
少し年老いてこころないひとたちが語る
中省略
弱者の共感
蛆虫の共感
殺戮につながった共感
断じてなつかしみはしないだろう
わたしたちは
戦火の時代の、見知らぬ人とのささやかな連帯をなつかしむ人々を、バッサリ切って捨てる小気味良さがある。猛火の下を逃げまわらざるを得なかった日々を、被害者意識だけでは済まさせない厳しさがある。そして
わたしたちは準備することを
やめないだろう
ほんとうの 生と
死と
共感のために
と結ぶ。
このような力強い言葉は、自ら考えて行動しようと覚悟を決めた人からのみ放たれる。ただ思いつくままの感情むき出しの言葉からは、何も生まれない。誰もが自分の言葉で、発言すべき時には声を上げる勇気が持てるようにと願う。その状況は人それぞれに異なるが、その日のために準備したい。人に届く言葉を発するために。