照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

やんちゃな柴犬リキ君

f:id:teruhanomori:20141228084908j:plain
子供服屋のほんわか看板ゾウさん

リキ君は、元気溢れるやんちゃ盛りの柴犬だ。ノラ君と遊ぶリキ君を見たのが、初めての出会いだった。飼い主さんと挨拶を交わすようになってから、リキ君へも挨拶する。リキ君も、私へ飛びついて喜んでくれる。電車の時間など気にせず、しばらく遊びたい気分だ。

娘さんを毎朝駅まで送る飼い主さんとリキ君。私が駅へ向かう途中に出会う事もあれば、反対側のプラットホームから挨拶することもある。この頃は私に気づいて、こちらをじっと見たまま頭を心持ち下げるようにしたり、両耳をピョッコと動かす時もある。心が通じ合ったような気がして可愛い。

小学生の頃までは私も犬や猫が好きだったが、老犬が死んでからは動物に触れ合う機会が無くなった。ごく小さい頃は、仔犬にミルクを飲ませたり、嫌がる猫を紐で結わえておんぶしたりしていた。本人は子守のつもりで得意になっていたようだ。亡くなった母が、時々その様子を面白そうに話題にしたので、自分でもおぼろげに思い出す。

私が生家を離れてだいぶ過ぎた頃、再び犬を飼い始めた。姪たちはコジちゃんと読んで可愛いがるが、私は馴染みがないためかさほど関心が湧かない。コジちゃんも、私にワンワン吠える。心の中で(うるさいよ、コジちゃん)と応える。近しくなりたいとも思わなかった。

ちなみに老父に、たまには散歩させてやるのかと問へば否との返事だ。その理由が可笑しい。「武蔵なら散歩にも連れて行くが、小次郎ではな・・」。続けて、「初めはF子なんぞ、エリザベスと呼んでいたのに、いきなり小次郎じゃ犬も戸惑うだろう」。でも、また武蔵に改名したりしたら、更に混乱するでしょうと思うが、その矛盾には気づかないようだ。それに父が武蔵好きとは、知らなかった。多分こじつけだが、いちいち理由をつけるところが謹厳実直な人生を送ってきた父らしい。

自分で動物を飼う事はこの先もないが、リキ君とほんのわずかな時間遊ばせて貰えるのは有難い。大人になるにつれ、犬はむしろ苦手になっていた。それがこの頃は、散歩中の犬とも目が会う事が多くなった。マルチーズのリンちゃんとも知り合った。クリクリした茶色の瞳が可愛い犬だ。

無邪気な犬たちに出会った朝は、私も元気に弾みがつく。そして、誰もが心にゆとりを持てる社会であるようにと祈る。