照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

バンコクにて 一年を振り返るー"どこかに美しい村はないか"詩『六月』より

 
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バンコクの路地にて  名も知らぬ花
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バンコクの路地  ドタッとした犬
 
昨日引用した茨木のり子の、「はじめての町」が出版されてから半世紀近くが過ぎ、既に著者もいない。今やあの詩の優しい眼差しに応えうる町や人々は、どれほど存在するのだろうとふと思う。
 
たとえ居たとしても、金、金、金、自分だけに、もっと、もっと、もっと・・・浅ましく叫ぶ人々に突き飛ばされてしまいかねない。か細い声などかき消されてしまいそう。
 
それでもはじめての町を訪れたなら、土地の声に、町の声に、優しい人たちの声に耳を傾けてみたい。そして、自分さえ良ければ病にかからないように、優しい想いを胸に刻みつけよう。だが人は、どれほど沢山の物を抱え込んだら満足するのだろう。
 
世界で一番貧しい大統領として知られる、南米・ウルグアイホセ・ムヒカ大統領が2012年リオ会議のスピーチで引用したセネカの言葉、「わずかしか持たない者ではなく、多くを望む者が貧しいのである。」が浮かんくる。
 
首都モンテビデオ郊外にある小さな農場で生計を立てているムヒカ大統領は、給与の90%を慈善団体に寄付し月1000ドル強で生活しているという。口とは裏腹の人々が多い中で、必要以上持たない暮らしを実践している大統領だからこそ、その言葉に重みがある。
 
そして再び、茨木のり子の「六月」の詩の一節が浮かんでくる。(現代詩文庫20 茨木のり子詩集・思潮社・P・36)
 
"どこかに 美しい村はないか"
 
"どこかに美しい街はないか"
 
"どこかに美しい人と人との力はないか"
 
本当に私たちの欲望は、どこまで行ったなら、とどまるのだろう。いつになったら、"それはここにありますよ"と答える事ができるだろうか。1年の終わりに、皆が働き方を含めたライフスタイルを見直してみてはどうだろう。誰もが、楽に息する事のできる世の中で有ることを願う。