照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

生きる 考える力と行動する勇気 ーアウシュビッツを一人で生き抜いた少年

かつて『 ライフ イズ ビューティフル『というイタリア映画を観た時、子供がユダヤ強制収容所で生き残るというストーリーに違和感を覚えた事があった。おとぎ話にしても、テーマからすれば現実離れしすぎているように思えた。それが、本屋さんで『幸せな子  ーアウシュビッツを一人で生き抜いた少年』という本を目にして、あの映画が思い出された。中表紙には、利発そうな幼子が微笑んでいる。
 
ユダヤ人である著者のトーマス・バーゲンソールは、チェコで生まれた。ホテル経営をしている両親の下、 裕福に暮らしていた。だが彼が4、5歳の頃、父はホテルを没取される。それ以後、ナチから逃げる生活が始まる。途中でイギリス行きのビザを取得するも、列車がドイツ軍の爆撃を受け結局行く手段がなくなる。そしてアウシュビッツに送られるまでの4年間を、両親と一緒にゲットーや労働収容所で暮らす事になる。
 
暮らしは厳しいながら、父や母の機転で何とかやっていかれた。恐ろしい事も沢山あるが、同じゲットー内の子供たちと遊んだり子供らしい日々を過ごしていた。しかし、生命の危険は常にあった。友達はどこかへ連れてゆかれ、その後会う事はなかった。
 
やがてアウシュビッツへ送られる日が来る。後に彼は、アウシュビッツに入れたのは幸運だったと言う。通常駅に着くと、子供、老人、弱った人は、そのままガス室に送られる。しかし、労働収容所から来たトミーは、すでに選別を受けていると思われたのか見逃がされた。その後も、選別はしばしば不意に行われたが、父の機転や親しくなった医師のおかげで彼は何とか潜り抜けてきた。すでに母とは別のキャンプになっていたが、やがては父とも別になる。
 
10歳のトミーは子供バラックへ行くことになった。ドイツ人の政治犯が、役に立つ子供を殺すのはバカげているとナチス親衛隊を説得した結果、十代の子供だけを収容するバラックができていた。皆トミーより年上の子供たちであったが、そこでは仲良しの友達も出来た。主な仕事は収容所内でのゴミ回収だったが、冬のポーランドでのそれは容易くはなかった。
 
そしてこの収容所を撤退する時がくる。トミーが生き延びるために、自分で考え勇気を持って行動するのは、まさにここからが真骨頂だ。死と隣り合わせの苛酷な日々が始まる。
その3へ続く