照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

生きる 考える力と行動する勇気ーアウシュビッツを一人で生き抜いた少年その2

大人たちも次々に倒れてゆくほど過酷な行進を、トミーは二人の友人たちと耐え抜いた。先頭を歩くのは子供バラックの少年たちだ。トミーたちは疲れ果て、休んでは走って前の列に戻るという事を思いついた。それを繰り返しているうちに、次第に列の中程になってしまった。
 
そのうち、ナチスの親衛隊から子供は前へと言われても、そこに留まったままでいた。それを周りの大人たちが前へ押し出そうとするが、頑として抵抗した。その後二度と、先頭にいた子供たちの姿を見る事はなかった。
 
結果として、自分で判断した事が生へと繋がった。だが辛い行進が続くうちには、明日目が覚めなければどれほど楽だろうと思う瞬間もあった。しかしそれは、相手を喜ばせるだけだと気づき、生きようと決意を新たにする。 
 
 どんどん人が倒れ、捨てられていく中でも、選別は行なわれた。決められた場所を走りきる事ができなければ、死が待つだけだ。トミーたちは、自分たちを見て面白そうに笑う将校たちに奮起し、凍傷に罹りかけた感覚のない足で何とかやりとげる。再び行進が始まると、わずかなパンを盗まれないようしっかり抱えながら歩く。
 
別の収容所に辿り着いて身体を休められたのも束の間、やがて貨車に乗せられ次の収容所へ向かう。パンが無くなると、雪をアイスクリームだと想像しながら食べる。
 
数日後、橋の上からチェコの人々が、貨車に向かってパンを投げ入れてくれるという奇跡が起こる。トミーたちが拾ったパンを横取りする大人たちもいたが、大量のパンのおかげでトミーたちは生き延びる事ができた。飢えと寒さで肉体ばかりか精神をも病み、倒れてゆく大人たちを見ながら、トミーは絶対に生き抜こうと思う。
 
運にも恵まれていたが、それだけではない。トミー自身が、生きるために頭を働かせ、行動した結果だ。アウシュビッツでゴミ収集していた頃は、残飯がどれほど魅力的に見えても決して食べなかった。
 
ゴミ箱の物を食べたら、ひどい病気に罹るという父の言葉を思い出して我慢する。病気になったら終わりと解ってはいても、お腹を空かしきった10歳の子供がどれ程自制できるだろう。自分の身を守ろうとする行為は、知恵と勇気があるからこそできる。
 
解放された後の写真を見ても、こんな幼い子がよくぞ生き残れたと感慨深い。常に死の恐怖がある劣悪な環境下でも、両親に会うという希望と、やすやすとナチスの思うようになってたまるかという負けじ魂が、この少年の生命を守った。生き延びるためにはどのようにすべきかを自分の頭で考え、行動する勇気があったからこそできた事だと改めて思う。
 
自分の目で確かめ、自分の頭で考え、自分の責任において行動する勇気は、今を生きる私たち全てにとっても必要な事だ。生きるという事を考えさせられた本である。私はこの本を翻訳で読み、著者自身の言葉も知りたいと原文でも読んだ。解放以降の話も深い内容だ。ぜひ皆様にもお勧めしたい。
 
後日譚
トミーはやがて連合軍により解放される。凍傷も、足の指2本を切るだけで済んだ。その後1年以上過ぎて、奇跡的に母とも再開できた。ただ残念ながら、父は解放される前に亡くなっていた。叔父を頼って17歳でアメリカへ渡り、ハーバード大学で学んだ彼は、やがて国際司法裁判所の判事となる。