照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

テレビを持たない理由

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ルンビニ公園の花

私がテレビを持たないのは、高尚な理由からではない。やらなければならない事がある時ほど、テレビへ逃げてしまいがちという自分の情けなさによる。それなら無くせば良いと、地デジ移行を機に持たない事にした。

日曜美術館N響アワーだけが心残りであったが、見なくなると何という事もなかった。案外あっさりしたものである。

小学4年生位まではテレビ大好きで、何でもかんでも見ていた。兄たちとチャンネル争いになると、興味が無い番組にも関わらず末っ子の特権を利用して意地で見た。大人の恋愛物など全く訳が解らなかったが、眠いのを我慢してまで見た。でも内容の一部は不思議と覚えていて、大人になってからようやく納得した。

高学年から中学生になると、テレビに興味がなくなった。本を読んでいる方が好きであった。一時期倦きる程見たためであろうか。それが試験中に限って、テレビのスイッチに手が伸びた。その癖は、大人になっても続いた。

テレビは、何も考えずにボーとしたい時にはぴったりである。そこそこ面白いし、ためになるような気もした。だがある時ふと、このように受動的でいると、脳を使う機会が減るばかりではないかと思った。テレビをきっかけに、考えを深める人もいるだろうが、私の場合は違った。脳が退化するばかりに思えた。

それと、テレビの番組作りにも疑問を覚えていた。以前にも触れたが、私の所属していた会社は、10年前に消滅した。その更に10年前、早期退職募集が行われる直前に、先ずリストラがあった。私の勤務する事務所では、上司を含む2名がその対象となった。すぐさま上司は、管理職が所属する外部の組合に参加して、徹底的に会社側と戦う姿勢を見せた。

歴史と知名度がある会社は、マスメディアにとって格好の材料だったのであろう。上司が活動している姿を、しばしばニュースの時間に見かけた。新聞記事にもなった。ある時、NHKの1時間番組で取り上げられた。能力もある善良な人が、突然の理不尽なリストラにも屈せず戦うというような内容であった。ドキュメンタリー風にまとめられた前半30分に、私は心底驚いた。そこには、正反対の人物像が描かれていた。私も本人を知らなければ、会社側に憤慨し、テレビが作り上げた人物に同情してしまうところだ。事実、テレビ局には、激励の手紙も寄せられたらしい。

半年後、上司は金銭解決を選び退社した。同じくリストラ対象になった人は、最初は上司と行動を共にしていたが、すぐに喧嘩別れしてしまった。その後個人で会社と交渉し、そのまま定年まで会社にいた。

それまでの私は、ドキュメンタリーは真実の物語とばかり思って見ていたお目出度い人間であった。しかし、作り手の意図によっては、どのような絵にもできると解った。頭をガツンとやられた感じであった。それ以後、テレビに真実を求める事はなくなった。

私にとってテレビは、時間を侵食するものに他ならない。また、脳を退化させる要因ともなるので、年齢を増す今後こそ遠ざけておきたい。