照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

元気な高齢者 その2

前回元気な高齢者で取り上げたTさんは、単に恵まれていた人ではないと思う。若い時から、自分の生活設計をきちんと考えていたのだと推測できる。私が入社した時、Tさんと同じバレーボール部に所属していた方があと二人いらした。Tさん同様、独身のAさんとMさんだ。AさんはTさんより5歳下、Mさんは10歳下で、共に昭和一桁生まれだ。ちなみに大正生まれのTさんが一番お元気だ。この違いは何だろうと、お会いする度考えていた。

Tさんが事務所へ遊びに見える折は、お二人にも声をかけて三人でいらしたりする。Tさんは「三婆が来たわよ」と笑顔で入ってくる。但し、仕事の邪魔になってはいけないと、お昼休みの間しかいない。もう少しゆっくりしてと引き留めても、必ず帰られる。他にも退職した方がいらっしゃる事もあるが、会社の勤務時間を気にする方はむしろ少ない。この辺りからTさんは、メリハリをはっきりとして、ご自分を律しておられる。
 
三人から詳しくお聞きしたわけではないが、会話のはしばしからそれぞれの経済事情は覗える。女性の地位も給与も低い時代に会社員生活を送られた三人は、算定基準額が低いので受給年金額もそれなりだ。同じ会社に所属したといっても、一社でずっと働き通したのはAさんだけだ。Tさんは、所属事業所が売却されたため別会社勤務となり、その後再び当初の会社へ戻ってきたいう経緯がある。Mさんは一度辞めて、だいぶ間をおいてから再就職したため勤務年数も少ない。それは年金にも影響している。Aさんの場合は、会社独自の厚生年金基金もあって、三人の中では一番経済的に恵まれている。但し、会社が消滅してからは、厚生年金基金の受給額がぐっと減ったという事だ。Mさんは退社した際、厚生年金を脱退手当金としてもらっていたためさらに受給額が少ない。当時は会社を辞める時、脱退手当金として清算する制度があった。
 
三人の中で、自宅を所有しているのはTさんだけだ。Aさんは民間のアパートに長いこと暮らし、数年前から、最寄り駅までバス利用という場所にある都営住宅に住んでいる。一番年下のMさんは、一昨年70代後半で亡くなられたが、ずっと民間のアパート暮らしだった。退職後も、年金が少ないからと、亡くなる1、2前まで関連会社のメール室で隔日勤務していた。家賃を払って暮らすには、年金だけでは無理とご本人から伺った。メール室を辞めたあとはどうするのだろうと、同僚たちと本気で心配したものだ。だが買い物に出た折、路上で倒れ、病院へ運ばれて間もなく亡くなられた。それもTさんから、「Mさんへ連絡がつかない」と会社の同僚へ電話があって、調べた結果わかった事だ。
 
かなり上背があるMさんだが、バレーボールを止めて以来横にも大きくなっていた。頭も良くしっかり者だが、物事を否定的に捉えるタイプで、Tさんの潔さとは対象的だった。仕事を辞める前後に膝を痛めたとかで、あまり出歩かなくなっていた。Mさんを気遣ったTさんが、バレーの指導に出かけた折、Mさんの最寄駅まで足を伸ばして会いに行っていたという。様子見の電話も時々していたようだ。

最近はAさんもまた、膝が痛くてと出るのを苦にするようになったため、Tさんが自宅を訪ねたりしているそうだ。背が高くすらりとしているAさんはおしゃれで、服装や持ち物にも気を使っている。Tさんから、「越して家賃が浮いた分、すぐ使っちゃだめよ」と言われるも、なかなかそうもいかないらしい。Tさんも時にはおしゃれな装いもするが、通常は倹しくシンプルだ。それがむしろ、最年長のTさんを若々しく見せている。
 
同じように自分の暮らしを支え一人で生きてきた三人だが、老後の暮らし方は大きく異なっている。どちらが良いとか悪いとかではなく、ご本人が良ければいいのだ。だが、できればTさんの路線を行きたい私としては、やはりその違いに考えが及ぶ。結局は、早くから自立を目指し、覚悟を決めて生きてきたかどうかだと思う。それが住宅への対処の仕方にも表れている。自分の将来を見据えた計画性がなければできない事だ。

得られる額で遣り繰りし、物事の明るい面に目を向けるTさんの自立した生き方は、私の目標だ。
その3へ続く