照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

仕事についての雑感 その1

会社員全滅時代が来るとか、好きな事を仕事にせよとか、高額費用をかけて、名も無い大学を卒業する事に意味はあるのかとか、ネット上には本当にさまざまに仕事関連の問題提起がなされている。

でも、ホイホイと乗るわけにはいかない、と感じる人が多いのも事実だ。もしそれらが現実になるとしても、間近いどころか多分ずっと先だろう。大企業に入社したからといって、安泰ではないという事だけは確かだが、会社員は全滅しないと思う。どれほど無名の大学であろうと、会社によっては、その学歴がない事には応募すらさせて貰えないという時代もまだ当分続くだろう。

昨日の例で取り上げたA君B君も、大学卒業当初は、現在携わっている仕事など予想もしなかった。

A君は、学んだ事とも関連する、観光業界での仕事を探していたそうだ。だがうまくいかず、今の会社の 募集に応じた。会社としてはA君を予備位に考えていたのか、面接したものの、なしのつぶて状態で彼が諦めた頃、次の面接の連絡が来たそうだ。その会社とは私の勤務先でもあるが、中小企業にも関わらず、以前の大企業意識を引きずったままであったから、そのような対応をしたと思われる。逆に、名も無い会社に応募する学生がいない事すら解っていない感さえあるが、それはさておく。

B君は更に全く異色で、声楽を学んでいた。それも音大ではなく、普通の大学でだ。将来の事まで視野に入れていたのかどうかは分からないが、彼の場合、学んだ事を活かすとか、好きな事で身を立てるというのは相当難しいだろう。今は、地元でアマチュアのグループに所属して、音楽を純粋な楽しみとしているようだ。また彼は、月々の給与から奨学金の返済もしている。安定した仕事がなければ、それさえ難しかったであろう。

両者共に、縁あったからこそ今の会社に入社したのだが、本人たちにとっても、また会社にとっても良かったのではないだろうか。仕事が出来るかどうかは、偏差値の高い学校出身かどうかには無関係という認識が、両者共に広がればいいと思う。そうすれば、学歴がさほど重要視されなくなるだろう。現に、高待遇で迎えた高偏差値大学出身者が、A君B君とは全く逆という例もみている。

また社員として入社できたからこそ、二人共仕事を学ぶ機会を得た。義務教育、もしくは高校、大学を終えて社会に出たとしても、よほど特殊な才能の持ち主以外、どこかで教わらない限り仕事はできない。専門学校でも同様であろう。
基礎的な事を学ぶ学校では、どの仕事にでも直ぐ適応出来るような力はつかない。

また自分に向くかどうかというより、与えられた仕事に真剣に取り組んでみるのも大事だ。べそかいて試行錯誤しているうちに、少しづつ前へ進めるのだと思う。自分で考え工夫する力が付けば、例え職種が変わっても何とか適応出来るようになる。そうすれば、会社が無くなったとしても、何処でも何をしても生きていけるだろう。ともかく、今目の前の仕事に、全力で向かってみる事だ。逃げずに、踏ん張っていれば、必ず道は開かれる。

いろいろな情報に踊らされず、自分でしっかり判断出来るよう、常日頃から考える訓練をしておく事も必要だ。自分なりに納得いくまで考えられるようになれば、人に惑わされることはない。そして、自分にとって本当に大事な情報だけに、目が向くようになる。