照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

寒い日は ちょっと「てつがく」

この詩は、ご存知の方も多いだろう。哲学するライオンを、自分がおっかなびっくりしながら物陰から見ていたとしたら・・・と想像すると楽しくなってくる。「何してるの?」と直接聞くには身の危険が大きくて、でも聞きたい思いでじっと見ているうちに、こちらも肩がこってお腹が空いてしまうかな。

てつがくのライオン   工藤直子

ライオンは「てつがく」が気に入っている。
かたつむりが、ライオンというのは獣の王で哲学的な様子をしているものだと教えてくれたからだ。きょうライオンは「てつがくてき」になろうと思った。

・・・省略

(だれか来てくれるといいな。「なにしてるの?」と聞いたら、「てつがくしてるの」って答えるんだ)ライオンは、横目で、だれか来るのを見はりながらじっとしていたが誰も来なかった。日が暮れた。ライオンは肩がこってお腹がすいた。(てつがくは肩がこるな。お腹がすくと、てつがくはだめだな)きょうは「てつがく」はおわりにして、かたつむりのところへ行こうと思った。

・・・省略

「そう、ぼくのてつがくは、とても美しくてとても立派なの? ありがとうかたつむり」ライオンは、肩こりもお腹すきも忘れて、じっとてつがくになっていた。

『詩のこころを読む』茨木のり子・岩波ジュニア新書P・117〜119

夕焼け空を背景にしたライオンは、ずいぶん雄々しく見えたことだろう。思わず発したかたつむりの言葉に気を良くして、そのまま彫刻のようにじっとしている様子は、ずいぶんいじらしい。

外から見ていると、哲学的に見えたり、素晴らしく立派に見えたりする人も、誰かに誉められるのを待っているのかもしれない。そう思うと可笑しく、だが哀しくもなってくる。自分の姿もまたそこにあると気づくからだ。

でも大概の人は、肩が凝る前に、自分から話し出してしまうだろう。しかし、自分が思うほどには、人は自分を評価してくれなくて、ちょっと威張ってみたり、いじけてみたり・・・。だが、そのようなことなど心から消えた途端、本物になっていることは多い。人の目などに囚われず、自分の道をただ黙々と進んでいくうちに、いつの間にか立派に見えてくる。

そんな日はくるかしらと意識しているうちは、夕焼け空も味方にはなってくれない。人の心は行きつ戻りつと、斯くも複雑だ。だから即席を求める人のために、ハウツー本も、どっさり出るのだろう。黙々と歩くことに疲れた時こそ、心の栄養となる詩の一編にでも触れたい。一瞬で自分が変わるほど、心に沁みる風景に出会えるかもしれない。そうすれば、自分もいつの間にか立派なライオンになっているだろう。