照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

さびしさが押し寄せてきた時でも、寂しさの釣りだしにあわないために踏ん張る

金子光晴は、疎開先で終戦の三ヶ月前、発表のあてもなく、見つかれば死刑という状態でこれらの詩を書きついでいたという。とても長い詩の、出だしと最後の部分だけを引用させて頂く。

寂しさの歌       金子光晴

国家はすべての冷酷な怪物のうち、もっとも冷酷なものとおもはれる。 それは冷たい顔で欺く。欺瞞はその口から這ひ出る。「我国家は民衆である。」と。 ニーチェ『ツアラトウストラはかく語る』

 

どっからしみ出してくるんだ。この寂しさのやつは。
夕ぐれに咲き出たやうな、あの女の肌からか。
あのおもざしからか。うしろ影からか。

糸のようにほそぼそしたこころからか。
そのこころをいざなふ
いかにもはかなげな風物からか。

・・・省略
   四
・・・省略
 
僕、僕がいま、ほんたうに寂しがつてゐる寂しさは、この零落の方向とは反対に、ひとりふみとゞまって、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といっしょに歩いていゐるたったひとりの意欲も僕のまはりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ。
(現代詩文庫 1008  金子光晴詩集・P49〜55・思潮社)
 
私にはこの詩を、「がつき」と、深く受け止められるほどの力がまだ足りない。茨木のり子の力を借りて、何度も何度も読むしかない。ちょっと長いが、引用させて頂く。

”さびしさにいたたまれなくなって、友人に電話して声を聞きたくなったり、旅に出たり、衝動買いをしてしまったり、そういうことは自分 に許してやりますが、もっと大事な事で何かを決断したり、出処進退を明らかにしなければならないとき、「寂しさの釣りだしにあっているんじゃないでしょうね?」と自分の心を点検していることがよくあります。寂しさの釣りだしは、まずおいしい餌としてぶらさがるので、ついパクリとやってしまい、あとで大後悔。自己顕示欲で釣られることも多く、いつも戦争という形でくるわけでもないので油断できません。」(詩のこころを読む』茨木のり子・岩波ジュニア新書・P162より)"

戦争の時代だけではなく、今でも様々な場面に応用できるこの詩には、まさに哲学がある。自分もまた、「寂しさの釣りだし」にあっていないか、いつでも自分の行動を確かめたい。近頃のように何か大きな事が起きたときこそ、確認が必要だ。烏合の衆の一人になって、知らぬ間に知らぬところへ流されていたとしたら、自己嫌悪に陥るばかりだ。

金子光晴は、私が若い時分に読んで、その生き方に圧倒された詩人だ。今の住まいに越すにあたり、本を含めたあらゆる物を処分した事はこれまでもしばしば書いてきたが、捨てきれず残した三冊の詩集がある。その著者の一人が、金子光晴で、ちなみにあと二人は、茨木のり子谷川俊太郎だ。いずれも、若い時期の自分を支えてくれた詩集だ。「寂しさの釣りだし」にあいそうな時、孤独を踏みこたえようと、よく声に出して読んでいた。
 
当時の私に、詩の何が理解できたかと思うが、寂しさを紛らわす役には立った。『二十億光年の孤独』(谷川俊太郎)の分厚い詩集はもう手元にないが、最もお世話になった一冊だ。音読の心地良さが蘇ってくるが、今の私には、もう以前ほどには必要ない。人が持つ根源的な孤独が消える事はないが、向き合い方が多少上手くなったのだろう。
 
年齢が増すと共に、それぞれの詩に対する解釈の仕方もまた変わってくるが、時代に色あせず、今尚指針となる詩たちである。