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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

書くということ 雫石とみの場合

雫石とみという、明治44年生まれの女性が書いた『荒野に叫ぶ声』もまた凄い本だ。戦争で何もかも失くし、天涯孤独になった彼女は、女子保護施設に暮らしながら、日雇い労働に出る日々を送る。暮らすといっても、数人が寝起きする部屋では、自分が使えるスペースは1畳ほどだ。それも新入りはドアに一番近い場所で、夜中にトイレに立つ人がいるため安眠はできない。
 
部屋の主がいるようなところでは、プライバシーなど当然ない。愚痴など言おうものなら、施設長に筒抜けで、こっぴどく叱られる。誰かに話す事もできず、ノートに思いを書くだけだが、それも誰かに見られるのを怖れて隠し持つ。自分が日雇いで得たお金で食を賄い、部屋主にも差し入れる。貴重な食料も、気をつけないと盗まれてしまう。公共の施設とはいえ、家もお金もない貧しい女性は、人間扱いさえされていない。

宮城県の貧しい農家に生まれたとみは、小学校を終えないうちから働き始める。やがて上京、結婚して娘二人にも恵まれたが、空襲ですべてを失う。やましいことなど何一つ無い生き方をしてきたにも関わらず、役人からは、まるで虫ケラのごとく扱われる。だがとみは、「書かずには生きてこれなかった」というように、書くことで自分の尊厳を保ってきた。そして、早く施設を出たい一心で、人の嫌がる重労働にもつき、懸命に働く。

そのようにコツコツ貯めたお金で、埼玉にささやかな土地を求め、掘っ建て小屋のような一間だけの家を建てる。誰にも遠慮することのない自分のお城を得て尚、せっせと働きもう一間を増築して人にも貸し、生活の足しにする。だがやがて、それらの財産を基にしたお金で、「銀の雫文芸賞」を創設する。書くことが自分の生きる支えとなったので、そのような人を奨励するためという。普通の人なら、病気や何かに備え、蓄えたお金を死守する年代に入ってからである。自分は91歳で亡くなるまで、六畳一間のアパートに暮らし、借り物のベッドに寝起きして、その上に張ったロープに掛けた衣類数枚を持つ暮らしだったという。

なんという潔さ。地を這うような暮らしの中で、人の蔑みにも自分を見失うことなく生きてきた強靭な精神の持ち主ならではと思う。欲を手放した人の清々しさに敬服するばかりだ。それにしても、どうしてこのような強さを保てたのだろう。

茨木のり子は、石垣りんについて、このように述べている。

"もし、本当に教育の名に価するものがあるとすれば、それは自分で自分を教育できたときではないのかしら。教育とは誰かが手とり足とりやってくれるものと思って、私たちはいたって能動的ですが、自分のなかに一人の一番きびしい教師を育てえたとき、教育はなれり、という気がします。・・・高等小学校卒の石垣りんは学歴に関して劣等感を抱きつづけたと何度も書いていて、あるいは自分で気づいていないかもしれませんが、自分で自分を教育できた稀な人にみえます。(『詩のこころを読む』茨木のり子・岩波ジュニア新書、P・194〜195)

これは、石垣りんより10歳程上で、環境も全く逆の雫石とみにも通ずることだと思う。彼女の場合は、赤坂生まれの商家の娘とは違い、本を読む環境にもなく、一貫して、重労働に従事してきた。だが、その暮らしの中で学び、厳しく自分を育ててきたのだろう。

私は、元NHKアナウンサーの山根基世のエッセイで、雫石とみについて知った。そしてすぐ著書を読んだのだが、書くということについて、生きるということについて、本当に深く考えさせられた。また、10数年前の、仕事に疲れた頃の自分にとって、叱咤激励のような本でもあった。今は何でも当たりがソフトになっているが、もう少し、自分に厳しくあってもいいように思う。私など、到底お二人の域には達せないが、働く事や書くことを通して、自分を厳しく教育してゆけたらと願う。