照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

"三月 雨のなかに微笑する"〜ちょっと素敵な言い回しではないか

二月     虹を織る
三月     雨のなかに微笑する

(片山廣子『或るくにのこよみ』より)

如月に、皆様はどのような布を織り上げられただろうか。
今月はまた、ひと雨ごとに暖かくなると言われる季節にぴったりの暦だ。外出する時には疎まれがちな雨も、"雨のなかに微笑する"と口の中で唱えれば、楽しくなってきそうだ。

三月には、桃畑に陽の光が優しく降り注いでいるような、ゴッホの『アルルのラ・クロー 花咲く桃の木』の絵もぴったりとくる。

そして卒業シーズン。光が増してゆくに連れ、希望もまたふくらんでゆく。沈丁花の香りに送られて学び舎を出る人もいるが、大方は、桜の蕾が大きく膨らんだ頃巣立つ。
 
希望の象徴のようなその蕾が開くと、人々はその木の下へ繰り出す。奈良時代は、花見と言えば梅だったようだが、平安の頃よりは桜が主流になったという。確かに、寒さが和らいだ頃の方が、花見の気分が高まる。
 
花々が競い合うように爛漫と咲くこの時期、人によっては、花粉との戦いで憂鬱な季節ともなる。今や花粉症は、国民病とも言われるほどに増えているらしい。古から現代までの暮らしの変化、とりわけ近代になって激変した生活スタイルは、自然と人との折り合いをますます難しくしてゆく。
 
植物にも植物の事情があって、人のために咲いているわけではないのだと、独り言ちているかもしれない。時には耳を澄まして、花々の言葉に耳を傾けてみよう。
 
花用の聞き耳頭巾は持たなくても、きっと聴こえてくる。人には人の事情もあるけれど、晴れた日も雨の日も、静かに微笑んでいる花々がいじらしくなってくるだろう。決して敵ではないのだ。
 
"三月     雨のなかに微笑する"いい言葉だ。光の中をずんずん進むだけではなく、時には佇んで、この言葉をしっとりと噛みしめていたい。大地の囁きが聞こえてきそうな気がする。