照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

気を揉むおやつの時間

 会社でのお昼時、甘い物好きでは右に出る者がいないTさんが、昨日2時37分に配られたお菓子美味しかったねと言う。皆、あまりの時間の正確さに驚いて、良く覚えているねということから話が始まった。

隣の部署(私の所属先)で、誰かのお土産が女性に手渡されるのを何気に見ていたTさんは、午後おやつが配られるのを朝から心待ちにしていた。だが、2時になってもお菓子は配られない。(私の勤務先では、なぜか2時におやつを配る習慣がある。)どうしたのかと振り返ってお土産を預かっている女性の方を見れば、仕事に没頭しているのかお菓子の袋はそのままだ。忙しいなら同じ部署にいる別の女性(私)が配ってくれるといいのだが、その人はお菓子パス組なので、まったく気にもしていない。おやつの時間ですよと教えてあげたいが、それもカッコ悪い。

どうしたものかと、尚も気を揉みながら待つ事20分、袋を開ける音すらしない。今日は配らないのかなとガッカリしたが、気を取り直して仕事に意識を集中させることにした。すると思いがけず、机にお菓子が置かれた。今日は3時に配られたのかと時計を見れば、2時37分だった。嬉しさに美味しさが加わり、時間もしっかりインプットされたということであった。

その話を聞きながら、それほど楽しみにしているんだと皆で感心してしまった。それ以後お土産のお菓子がある日は、2時を少しでも過ぎると、Tさんが気を揉むよと言葉をかけ合うようになった。Tさんは、貰ったお菓子は何でも直ぐに美味しそうに食べる。その幸せそうな顔を見ていると、お土産を買って来た人はもちろん、配る方も気分が良い。食べられるお菓子もまた、お菓子冥利に尽きると思っているだろう。

他愛のない話だが、宇治拾遺物語の「児のそら寝」がふと思いだされだ。ぼたもちが出来あがるまで、寝たフリをして待つ小僧さんの話だ。いざぼたもちが出来あがって声をかけられるが、直ぐ返事をしたのではいかにも待っていたようだと、寝たフリを続ける。だが、ぐっすり寝ているのだから起こさない方がいいという人がいて、二度目の声がかからない。このままではぼたもちを食べそこねると悩んだ末、刻外れに、はいと返事して大人たちの笑いを誘った話だ。気を揉む様子がTさんと重なって、何とも可笑しくほのぼのとしてくる。

ちなみにTさんは、自前のおやつも机の引き出しに用意している。だが、予期せずにお土産が配られたりすると、とりわけ嬉しいと言う。これほど素直に喜びを表わす人も珍しい。回りの者も、幸せのご相伴に与かっている気になってくる。Tさんの存在は、事務所内の雰囲気を明るくしてくれる。悪口や陰口もなく、お菓子話で皆が和やかになれる職場はまことに平和だ。