照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

老後破産の記事に思う

若くして高額所得者になった人(アメリカ)が、消費する事では心が満たされず、やがてミニマリズム(最小限主義)を実践するようになったいきさつを読み、四千万あっても老後破産という先週の記事を思い出した。夫婦二人の生活を賄うには、年金だけでは足らず、蓄えが四千万あっても破産すると予測される内容の記事であった。

破産する前に生活の仕方を見直せばいいだけの話だが、なぜそれができないのかがむしろ不思議であった。ミニマリズムとまでいかなくても、自分たちに必要な物を洗い直し、不要な物やお付き合いを省くだけで、夫婦で平均22万円という年金だけでも家があれば十分暮らせと思う。プラス四千万円あるならば、老後破産どころか、あちこち旅して楽しい老後さえ送れるだろう。

よく、一度上げた生活レベルを下げるのは難しいと言われるが、本当だろうか。難しくしているのは、単なる見栄の問題だけではないのか。リタイアして尚、自分をお金持ち風に見せる必要はない。お金が有ろうが無かろうが、自分は、自分以下でも以上でもない。それは、現役時代から同じことだ。お金がないと思われるのが恥ずかしいと考えるのは、自分が、他者をそのように見てきた証だ。たとえそうであったとしても、気付いた時点で意識を改めればいい。自分の価値観の転換を図るほうが、破産するよりはましだ。

一時は、断捨離がブームになったようだが、どれほど多くの人が実践し、かつ持続しているのだろうか。物は、意識しないでいるとすぐに溜まってしまう。たびたびの見直しが必要だ。服も装飾品も、多く持つよりは、徹底的に使いこなすを目指した方がいい。

『フランス人は10着しか服を持たない』
という本も話題になったようだが、確かにフランス人は、小さなクローゼットに一年分の服を収納しているという。その事についてはだいぶ前、デザイナーの水野正夫氏の著書で知った。また、1着で30通りの着こなしができる服を選ぶそうだ。つまり、小物を駆使して、あれこれ工夫し尽くすということだ。だから皆おしゃれに見えるのかもしれない。上下セットのブランド物ばかり着ていても、服に着られた感がでるのみで、自分らしさは生まれない。それより服の数を減らして、頭を使った着こなしを目指せば、脳の老化防止にもなっていい。

服以外にも、その方式を当てはめていける。お金がないからと自分を見下す人がいれば、その人との関係も捨てればいい。とてもすっきりするだろう。もし、自分がそのような見方をいつまでも続けていたら、逆に相手にされなくなるので注意が必要だ。老後破産が心配なら、自分が自分らしく、楽に生きられる方法を探す努力をすればいい。何事もシンプルに考えれば、物事はうまくゆく。但し、見栄を張り通したい人は我が道を行けばいい。やがて、破産した時点で考えるしかない。どちらにしてもやがて、自分で選んだ結果が自分に返るだけだと解る。

老後に程遠い人も、生活の基本は同じだ。むしろ早くから、自分スタイルを確立した方がいい。老後破産という見出しにギョッとしたが、要は考え方の問題で、恐るるに足らない。先の事を必要以上に心配し過ぎるよりは、その時々で臨機応変に変えていく柔軟さを持てばいい。記事を読み、健康に気をつけ自分スタイルを続けていくだけだと、改めて思った。ちなみに私は、この地に越してシンプルライフを始めて以来、将来受給できる予想額を基本にした暮らしを続けている。その余剰分で、今は旅行などもできているが、無ければ無いでまた別の楽しみを見つけるつもりだ。