照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

貧血をなんと貧毛とはー貧毛でいいのけ?👀

先日、いつもブログを読んでくれている友人から、「貧毛でいいのけ」と指摘メールを頂いた。慌てて件の記事を見なおせば、貧血のつもりが貧毛になっているではないか。気を使っての友人のユーモラスな言い回しに、「貧毛」がしょぼんと項垂れているイメージが頭から離れなくなった。

貧血は、身体の状態としては深刻な問題だが、貧毛ではシリアスさに欠ける。御髪(オグシ)では、密かに悩まれていらっしゃる方もいるようだが、その場合は薄毛という言い方が幅を利かしている。貧毛は、出番もなくひっそりと立っている。そして心の中で、「おれが世に出る日などあるのけ」とつぶやいているかもしれない。「でもな、貧乏神を筆頭に、貧とついた字は嫌われるからな。世の中の厄介者扱いだからな」と、チラと芽生えた野心を納めているかな。それとも、「清貧」に一縷の望みを託しているかな。

何だか自分が貧毛になったつもりで、あれこれ想像が膨らんでくる。言葉が形を持ってイメージされるのは、私にとって初めてのことだ。もちろん、貧毛などという言い方はないだろう。でも、世界のどこかでは、そのような言葉が載った辞書、あるいはそのような言い方があるかもしれない。

私にマンガを描けるならと、思うこともしばしばだ。ユーモラスに表現できたら、貧毛も喜んでくれるかな。四コママンガのタイトルは、「貧毛の晴れ舞台」で、歌舞伎役者のような着物も用意してあげよう。スポットライトを浴びて、大見得を切る貧毛、何とも楽しくなってくる。

寒さに心が弾まない折、貧毛のユーモラスな姿を想像してみるだけで、暖かくなってくること請け合いだ。教えてくれたTさんに感謝!ついでに、タイトルもそのまま頂いた。言い間違えの変換ミスで、ここまで遊べるとは思わなかった。自分が面白いと思うので、ついお裾分けをと書いてみたが、桜餅の代わりにどうぞ。