照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

ルミネのCMは男性の幻想から

ルミネのCMが、さまざまに取り沙汰されているが、これは、自分の中の女性像から一歩も出ようとしない男性たちが寄り集まって作ったのだろうと思った。そこへ追い討ちをかけるように、このCMを批判できるのは美人だけと宣う輩まで現れて、ずっこけてしまった。

男の本音はさておき、女性差別だの女性蔑視だのという前に、作り手の、(マーケット感覚の欠如)が招いた結果としか言いようがない。女性をターゲットにしたCMなら、自分が抱くイメージから離れて、もっと女性をじっくり研究する必要がある。

CMの中で、自分を貶した上司がちやほやする同僚に、敵対心を燃やしおしゃれ心をくすぐられる女性は、果たしてどれほどいるのだろう。同僚に対しても、「ふん、ぶりっ子が」と心の中で毒づくだけで、彼女を目指すとはどうしても思えない。

ストーリーとして、1話は2話に続く伏線としてあるというが、2話だって美人がキーワードだ。褒められて気を良くした挙句、ファッションに関心を向けるというが、それでは1話でちやほやされた同僚と同じになる。男はどこまで幻想を追いかけるのだと、ガッカリするよりそれが性なのだと改めて感じる。

かつて見た『湖畔のひと月』という映画を思い出した。コモ湖畔の、高級ホテルでの休暇を切り上げて帰ろうとした初老の男性に、イタリア人一家に乳母として雇われていたユマ・サーマン扮する若いアメリカ娘が、戯れに、スーツの襟に一輪の花を挿す。すると、出発したと思いきや、車はUターンして帰ってきてしまう。『ジャッカルの日』の面影も無く歳とったエドワード・
フォックス扮する実業家に、男というものはと思った事が蘇ってきた。

結局は、バネッサ・レッドグレープ扮する大人の女性が、自分には相応しいと判る。だが、男の人の本心はいつの時代も同じと、生物としての本能を認めざるを得ない気にもなった。人間も地球上の一生物なのだと解った上で、そのような男性などに囚われる事無く、現代の女性らしく、もっと自分を活かす方へ目を向けた方がいい。原始を引きずっている男性など、置いてゆけばいいのだ。