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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

誰でもその場が適材適所になる

適材適所についていろいろ思うところがあって、この頃よく考えている。向いていそうだからと、人をただ駒のように配置するだけでは上手くいかない。仕事の内容というよりむしろ、人は場の雰囲気に影響される要素が大きいからだ。

同じような仕事でも、重苦しい雰囲気の部署では、伸びる力も弱まる。緯度の高い国の冬がイメージされるような場所では、誰しも縮こまってしまう。逆に、明るくゆとりが感じられる場所では、人は能力を発揮する。性格も変わったのかと思うほど、生き生きと働く。但し、人を伸ばすためには、厳しさも必要だ。

本当に優秀な人は、社会全体の10%ほどと聞いた事があるが、それ以外、人の能力にさほど大差はない。学校の成績の良し悪しも、仕事が出来るかどうかにはほとんど関係ない。確かに、人には向き不向きもあって、仕事に習熟するまでの時間は人によりけりだ。だがいずれ、誰でも適材適所と称されるまでにはなる。

本人にやりたいという意志があって、粘り強く続けるなら大概の事はできるようになる。それは、手先の細かい作業が要求される仕事に於いても同様だ。工芸品の世界などでは、不器用な人ほど名人となるケースが多いと聞く。

適材適所は全くのお題目で、実際、人を採用したり、配置したりする側に、目がきく人などあまりいないのではないかと思える事もしばしばある。人を上手く動かすには、その人の傾向を掴んで指導する必要があるが、それをご機嫌取りのように勘違いして失敗する事例もままある。

人を使うことに長けた人物がいないことを改めて痛感し、大多数の職場も、同様なのだろうと推測する。人を育てる立場の人が、自分も上手く育てられずにきてしまったまま、次世代を指導するを、延々繰り返した結果だろう。誰でも置かれた場が適材適所になりうるにも関わらず、そうならないのは残念でもったいない。

とりとめもなく、人の能力や向き不向きについて考えてみたが、だいぶ言葉足らずなので、いずれじっくり書き改めてみたい。