照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

職場の雰囲気も管理職次第

このところ仕事がらみでいろいろと思うことがあったが、とりわけ管理職の能力について考えさせられた。仕事で評価される人でも、人の管理に長けているとは限らないと、改めて感じた。

何かが起こった時、今何が問題で、どう解決すればいいのか、全体像を掴んで考えるという基本的な事すらできない人は、管理職に向かない。目の前で起きていることを、風邪でもひいた程にしか捉えられず、薬を用意することにしか頭が回らないようでは駄目だ。指導のつもりで自分の感情をぶつけている場合もあるが、それは尚更駄目でむしろ失格だ。

古い体質の会社に永年所属していた人間は、組織が変わっても時代の流れにお構いなく、古い考えを踏襲しがちだ。管理職といっても、年功序列的要素が強い企業で育ってきた人間は、多少の時間差はあるものの、誰もが概ね勤務年数で昇進してきている。昇進試験や、それぞれの職階での研修があったとはいえ、人を管理する面への配慮はさほどなかったようだ。つまり、人の管理に関する教育は、ほとんど受けていないことになる。

昨今と違ってかつては、人などあまり重要視されていなかったのかもしれない。対外的には、人権問題に取り組む姿勢は見せるものの、本音では、個々を意識することはなかったということだ。それがそのまま、現在の会社へと引き継がれている。

既に解体してしまったが、現在に引き継がれる前の私の勤務先は、伝統を誇りにする企業であった。新組織になって10年が過ぎたが、今尚、古い体質を堅持したままだ。成績が良かった人はたくさんいるのに、真の意味で管理職に向く人物は少ないと日々感じていた。こうして振り返ってみれば、教育されず、個人に委ねられ過ぎてしまったのだから、それも無理ないとすら思える。

だがこれからは、人を中心に考えることが要求される。仕事を上手く回すためには、全体及び個々へも目を向ける必要性を認識しなければならない。管理職がしっかりしなければ、業績にも大きく影響してくる。人は、この人はと思える人物の意気に感じて、力を発揮することもよくある。また、退職理由に、職場での人間関係が高い割合で挙げられるが、それも管理職の能力に由来するかもしれない。ただ人を据えればいいものではない事を、経営陣も心する必要がある。

上に立つ者の好例としていつも私の心に浮かぶのは、幸田露伴五重塔』の、のっそり十兵衛と川越の源太だ。時代背景や職業の違いはあれど、人の心の動きについて、今の時代にも十分通じるところがある。ちなみに、倍返しとは異なる世界だ。

な〜んて、高い所から偉そうな雑感を述べてみたが、かくいう私は、梢の先で葉っぱをかじるちっぽけな毛虫君だ。つまらぬ寝言と聞き流して頂きたい。終わり。