照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

時には占星術の世界へ

池波正太郎『銀座日記』を読んでいると、気学への関心が高かった事がわかる。自然の運行と人生との関係についてしばしば言及されている。そして人は、注意を受けていても、用心しなければならない方面へ、何故か突き進んでしまいがちとも言われる。

 
自分の行動を振り返る時、まさにその通りとしみじみ思うことがある。戦い済んで日が暮れてみれば、なぜそうなったのか、自分でも上手く説明できず、大きな力に動かされたとしか言いようがない。
 
私は占いの類いには、これまで一切興味がなかった。若い頃は、たいがいの雑誌にある、運勢のページなども大好きであった。だが、最初の子を出産した病院で、同じ日に6、7人新生児が誕生した。ふと、世界ではどれほど沢山の人が、同じ日に産まれているのだろうと思った。それを機に、占い全てに急速に関心を失った。
 
子が長じて入学した学校の同じクラスに、同じ誕生日の人もいた。子供の数が多いならともかく、少なくなりつつある時期でもあった。ますます、誕生日で運勢が決まるはずがないと思った。
 
それが昨年の初冬、ある会でお会いした方が占星術をなさっているのを知り、その方の人柄に惹かれ戯れにとお願いしてみた。産まれた時間と場所を予め伝え、お会いして話をしながら、自分が一番関心がある事を中心に読み解いて頂く。
 
自分の誕生日から考えていた星座とは別に、自分の本質に関わる星座があることをその時初めて知った。そして、自分の性質の傾向を聞いているうちに、これまでの自分の行動がすんなり納得できた。これまで自分でも、どうしてこうなるのかと引っかかっていた部分であった。
 
自分の性質の傾向を知っておくのは大事だ。気をつけねばならない点も、かなり参考になった。それでもなお、突き動かされるように行動をしてしまう場合もある。そんな時、自然の大きな流れというようなものへ考えが向く。これまでずっと、運命は自分が作るものと思ってきたが、天の助けあってこそなのかなと、私の中に多少の変化も出てきている。確かに物事が上手く運ぶ時は、天の時、地の利、人の和が揃っている。
 
但し、何時でも何もかもを、占星術のお世話になろうとは考えていない。本当に困ったり行き詰まったりした時ほど、人の手を借りずに踏み止まって、自分で考えた方がいい。むしろ、お遊びくらいの軽い気持ちの時、お願いした方がいい。そうしないと、全てを頼り切る事になる。それだけは、絶対に避けたい。自分の人生に責任を持てるのは、自分だけという自覚をいつでも持っていたい。占星術の世界も、時には楽しい。