照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

ストレスに強い人はいない

ストレスに強い弱いには、個人差があるとはよく言われるが、本当だろうか。一見ストレス耐性が高そうな人でも、本人すら自覚しないうちに、身体は相当なダメージを受けている。ストレスに強いと思われている人は、心身の状態として表れる時期が遅いだけだ。つまり、自覚が遅く、自分の心と身体に鈍感になっているとも言える。

私の勤務先では、社長だった方が、三人続けて65歳前後にガンで亡くなられた。それから数年経つが
、同時期に、相次いでそのようになった事に驚き、今尚印象深い。そのうちお二方は、会社が一番難しい時期に、リーダーとしてあれこれ奮闘された方だった。恐れずに上層部に物言うタイプで、本流から外され子会社に回されてきていた。親会社に残ったのがイエスマンばかりだったからこそ、会社が解体してしまったとも言える。

親会社の重役陣について個々には全く知らないが、年賀式や創業記念日など、事あるごとに、全社的にビデオを見るのが義務付けられていた。その都度、居並ぶ役員を見ながら、こんなに必要なのだろうかと思っていた。顔ぶれこそ代わるものの、毎度変わり映えのしない挨拶に、貴重な昼休みの殆どを、意味のない時間に費やされているという不満だけが残った。男性社員が会議室にいない時は、女性社員の総意で、ビデオの早送りもした。

蛇足ながら、そのような会社では組合も全くの御用組合で、従業員の側には立っていなかった。むしろ会社側のために、従業員を説得しようと努めていた感すらあった。実際のところ、組合の存在意義にはかなり疑問を覚えたが、組合加入は強制のため、高い組合費も給与から天引きされていた。まさにこの会社に、この組合ありという感じであった。

そんな時代錯誤的な会社で、敢えて物言う人間は煙たがられる。そのようなタイプの人が、昇進にばかり心砕いている人間にどう映ったかは知らないが、一般社員の間では評判が高かった。とりわけ、現在の会社へ、間接部門も含め、該当する全従業員を引き取る決断をして下さった社長へは、誰もが感謝していた。そのため、社長退任から半年後、訃報を聞いた時は皆気落ちしてしまった。人知れず、ずいぶんご苦労があったのだろうと思った。

それ以来、ストレスに強い人なんて本当にいるのだろうかと思っている。また、今の世の中、ストレスに晒されない人も珍しいだろう。だからこそ、ストレスを小出しに発散することが大事なのだ。ストレス耐性を高める訓練をするより、上手に流すことを覚えた方がいい。時には、大声で歌ってみるのもいいだろう。音痴自慢の私だって、今や歌好きだ。
ストレスに強い人なんていないと自覚した上で、早め早めの解消を目指したい。