照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

事をうまく運ぶには

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」これはよく知られた、夏目漱石の『草枕』の冒頭部分だが、人との関わり合いの中で、自分が何かしようとした時、ふと浮かんでくる。
 
正義に名を借りて、力で押し通そうとしても上手くいかない。かといって、人の気持ちを汲み取り過ぎると、結局は自分も流されしまう。それを長い目で見れば、多分双方にとってもよい結果ではない。斯様に、物事を変えてゆく過程は、なかなかに難しくエネルギーがいる。
 
それでも変えねばならない場合、私は人の尊厳に配慮した方法を模索する。人は、自分が大事にされていると感じた時、物事はうまく運ぶものだ。相手のプライドを無視して推し進めれば、後に渡って禍根を残す。
 
これはまさに、日本的なやり方かもしれない。だが、人々が何でもドライに割り切ることに慣れていない社会である以上、そうするのが一番良いと思う。人の気持ちというのは、明治の頃ばかりか、文字で辿れる時代まで遡ってもそう変わらない。多分この先も、それ程の変化はないかもしれない。
 
調和を大事にするというのは、この国の、窮屈さへの批判として挙げられ易いが、生活の知恵として編み出されたのではないだろうか。長い年月をかけて生まれた考えも、社会の急激な変化の中では、時代遅れと称されるのだろう。
 
だが、調和という考えをよい方向で捉えれば、今の世でも充分活用できる。和を乱さないために、個を我慢させるという意味では無論なく、むしろそのような場を変える必要に迫られた時ほど使える。
 
要はバランスの取り方の問題だ。それが上手く出来れば、大抵のことはスムーズに運ぶ。繰り返しになるが、その根底に、人への尊厳がなければならない。
 
職場での会議で、さまざまな意見が飛び交うのを聞きながら、時折混じる、人への配慮を著しく欠いた発言が気になった。やや的外れな質問をする人への揶揄だと感じ、議題とは無関係に上記のようなことが頭の中に浮かんできた。具体的な例として表すのは憚れるため、解り難いかもしれない。これについてはまたいつか、適切な例を考えて書いてみたい。