照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

旅先での触れ合い3景

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フィレンツェ・バルジェッロ国立博物館で、熱心に彫刻に話しかけている幼子がいた。あまりに可愛らしいので、ママに許可を得て写真を撮らせて頂く。

するとママが日本語で、「日本人ですか」と聞くので驚いた。重ねて「東京大好き」と言う。そこで私も、「Sono di Tokyo」(東京からきました)と答える。但し、お互いに、それ以上の会話を続ける言葉は持っていなかった。それにしても思いがけない母国語に、ママも日本へ旅する前に勉強したのかなと嬉しくなった。

やはりフィレンツェ・サンタ・マリア・デル・カルミネ教会へマザッチョのフレスコ画を見に行った時のこと。チケットを購入しようと列に並んでいた折、後ろを振り向くと、私のすぐ後に日本人らしき老婦人がいた。声をかけてみると、ツアーできたが、今日1日フリーなので、有志数人とバスでシエナからきたとのことであった。

この教会へは、ドゥオーモから三度ほど道を尋ねながら来たという。この教会と、サント・スピリト教会の載ったガイドブックのページを拡大コピーして持っていたので、用意周到だと感心した。言葉が解らなくても、見たいところへは一人でも行くというパワーが素晴らしいと思った。

中に入ってパンフレットを見ながら、絵を見ている人に気づくと、あれはどこから貰ってきたのかしらという。私が側にいた人に聞くと、入り口と教えてくれたので、二枚パンフレットを貰ってきて彼女にも渡した。私など、パンフレットにすら気づかなかったのに、熱心な人はさすがに違うと改めて感心した。

見学を終えると、3時にまたドゥオーモ前で待ち合わせなので、だいぶ早いが遅れないように行くという。帰り道を聞かれたので、アルノ河まで出れば、ポンテ・ベッキオが見えるからとその方角を教えた。

帰国の日、フィレンツェ駅前で、空港行きのバスに乗ろうとバス停に行った時、別のバスが停まっていたので、空港行きはこれでいいのかとスーツケースを持った人に尋ねてみた。目の前のバスは違うが、乗り場はここでいいと教えてくれた。

バスが来るまで立ち話をした。フィンランドから来た方であった。レンタカーで、一週間フィレンツェ近郊を回られたそうだ。私には聞き取れない町の名を言うので、ガイドブックで確かめようとしたが、小さな町らしく載っていなかった。

その方によると、古い町で教会も周りの景色も素晴らしく、その地に4泊したという。また、シエナも良いとのことであった。お互い、食べ物が安くて美味しいと話していたら丁度バスが来て、やや離れたところに停まったので移動してバスに乗り込んだ。

私が日本から来たと言った時、いきなり「フクシマ」と言われて戸惑った。日本というと、福島のイメージが未だ強いのかなと思ったが、私には、どのように答えればよいのか、しばし会話が途切れた。テレビで見た津波の様子は、相当なインパクトであったようだ。

いつでもどのような話題でも、キャッチボールができるほどの言葉を持っていればもっと深い話ができたかなと、自分の勉強不足が少し残念だった。4年前、丁度地震が起きた一週間後、フィレンツェに来たのだが、ホテルや機内で読んだ新聞には、日本の記事が溢れていたのを思い出した。でも、日常使わない語彙などすっかり忘れてしまった。また英字新聞でも読もうかなと思った一瞬であった。

旅先では、さまざまな話ができる方が世界が広がる。英語はもとより、もっともっと他の語学を学びたいと心底思った。