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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

イサクの犠牲 どちらを選ぶ?

2015・4月ローマ・フィレンツェ 絵画
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ロレンツォ・ギベルティ作
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フィリッポ・ブルネッレスキ作

フィレンツェにあるドゥオーモ付属・サン・ジョバンニ洗礼堂の北側の扉の制作は、コンクールで勝ったギベルティに任された。

上の写真は、1401年の浮き彫りのコンクールで最終審査に残ったもので、バルジェッロ国立博物館に展示されているが、ルネッサンス到来を告げる作品として重要視されている。両方を見比べながら、かつて、西洋美術史の授業で習った事が蘇ってくる。

 ギベルティにコンクールで敗れたブルネッレスキは、共同制作を依頼されるも断り、ローマへ行き建築を学ぶ。後の1420年、ドゥオーモにクーポラ(円蓋)を架けるためのコンクールではブルネッレスキが選ばれ、制作を任された。

ブルネッレスキの革新的工法に刺激を受けたギベルティ、新たに引き受けた洗礼堂の東扉では、透視図法を用いた新しい作品を生みだす。これは後に、ミケランジェロによって「天国の門」と絶賛されることになる。

この話に、幸田露伴作『五重塔』の、のっそり十兵衛が思い出される。既に、川越の源太が建築を依頼されていたにも関わらず、自分にやらせてくれと寺へ直談判し続けてようやく願いが叶った重兵衛。寺側から、共同制作をと勧められても、頑として譲らず、自分だけでやることに拘る。その結果、大嵐にもびくともしない塔を建ち上げる。内容はだいぶ違うが、高さ50m、直径40m以上もある8角形の内陣の上にクーポラを載せるのは、当時の技術では不可能とされていたが、見事それを成し遂げたブルネッレスキにのっそり十兵衛が重なってくる。

ギベルティとブルネッレスキ、お互いへの刺激が更なる才能を呼び起こし、後に続く者たちへと繋がっていった。ルネッサンス全盛を迎えた当時のフィレンツェは、どれほど活気に満ち溢れていたことだろう。時代を遡って、ちょっと覗いて見たい思いに駆られる。

西洋美術史の授業を受けるまで、印象派以前の絵画には全く関心がなく、宗教絵画などはむしろ敬遠していた。ラファエロなども好みからは程遠かった。それが今では、様々な時代の画家やその作品に魅了されている。出会いの不思議だ。これまで食わず嫌いだったものでも、ほんの少し未知の扉を開いたなら、その世界が自分を迎えてくれるだろう。旅は、そのための手立てでもある。

表題の件に戻れば、私は、迫力あるブルネッレスキのイサクの犠牲に惹かれる。ところで皆さんのお好みは、どちらだろうか。絵の見方は好きずき、見る者の数だけ、物語があっていい。