照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

孤独遺伝子の持ち主かも

ラジオから流れてきた孤独遺伝子という言葉が、耳に留まった。例えばある集団が、疫病の発生などが原因で壊滅状態に陥った時、孤独遺伝子を持つ人が、その集団から離れていれば、全滅を防ぐことができるという。子孫を絶やさないための、人類の知恵が孤独遺伝子となったようだ。

 
同じくラジオでだいぶ前に聞いた、ドングリと虫の話にも似ていると思った。果物などでも、よく当たり年とか不作の年とか聞くことがあるが、ドングリも同様で、それは植物の知恵らしい。
 
ドングリが豊作だと、その実を待ち構えた虫に食べられてしまって、自分の種を増やすことができない。不作であれば、ドングリの敵である虫は、餌不足で成長できずに絶えてしまう。それを狙ってドングリは、実の制御をするという。
 
一方の虫もまた、1年で成長するもの、2年または3年で成長するものと、これまた、種の全滅を防ぐため、不作の年への方策がとられているそうだ。どちらも、見事としかいいようがない。
 
つまり、地球上のあらゆる生物は、何とか自分の種を残そうとさまざまに工夫し、それを遺伝子情報として残してきたのだ。そう考えると、日頃気にすることすらなかった小さな虫をはじめ、全ての生命が愛おしくなってくる。ただ、あらゆる種が全部生き延びることができるわけではない。何とか我が種だけはと、それぞれが凌ぎを削っているのだ。
 
孤独遺伝子の話に戻ると、これはきっと自分にもあるに違いないと確信した。そして、何だかほっとした。子供の頃からずっと、私は群れることが嫌いで、むしろ一人が好きであった。自分でも、どうしてだろうと思うことがしばしばあったが、これからは孤独遺伝子のためだと理由付けができる。
 
そう思えば、父もまた孤独遺伝子の持ち主だと気づく。母が亡くなって十数年経つが、高齢の父はすこぶる元気だ。毎日本を読み、ラジオを友として、朝から晩までの出来事を逐一日記にしたためている。備忘録のようなものだが。長いこと書道をやっていた父の字は達筆で、私には読めない。
 
長男の父は、既に弟妹4人を亡くし、友人・知人も、旅だった方が多い。ご近所付き合いもあまりせず、また家族との接触も自ら最小限にしている父は、人との会話も少ない。たまには寂しさを感じるようだが、孤独遺伝子の持ち主はさすがに強いと感心することしばしばだ
 
孤高の見本のような父に、独り行動派の私も勇気づけられる。人付き合いに無理せず、ひとりの時間を楽しみ、自分らしく生きることができればそれでいい。人と関わることが苦手な人は、きっと孤独遺伝子の持ち主に違いない。
 
孤独という言葉のイメージは、これまであまり良くはなかった。でもこれからは、人類の知恵の結晶として選ばれた孤独好きですと胸を張れば良い。とは言うものの、自分で思っているだけで、それほどのことでもないかな。ともあれ、このように何でも自己流に良く解釈してしまう能天気な性格こそが、私の強みかもしれない。