へちまの花咲く子規庵・根岸へ
右側が子規の部屋、前にはヘチマ棚
黄色いへちまの花
子規が、母、妹と暮らした家は、想像以上にこじんまりとしていた。来客が一度に43人は、最高人数とはいえ、どこに入る余地があるのかと驚く。それとは逆に、子規の居室だった6畳間から眺める庭は、むしろ広く感じられる。
葉の中央から覗くのは黒く熟した桑の実
桑の木 中央から右上の枝には赤い実
代替わりこそあるだろうが、子規の愛でた植物たちを、時を隔てて目にしていると思うと、感慨深いものがある。庭の中央には丈の低い草花ばかりかと思いきや、桑の木があったのは意外であった。季節的にちょうど実を付けていて、黒く熟したのも見える。
子規が住んだ当時の家は、昭和20年4月に焼失したため、現在の建物は、弟子たちの尽力により昭和25年に復元されたものという。折良く、関川夏央著『子規、最後の8年』(講談社文庫)を読んでいるところだ。記述と実際が重なる面白さに、間取りや部屋の広さ、子規居室からの庭の眺めなど、いちいち頷きながら見てゆく。
子規については、司馬遼太郎の『坂の上の雲』からの知識くらいしかなかったが、この本を読んでいると、更なる魅力が伝わってくる。著者の熱い思いと優しい眼差しが、子規の良い面を、ことさら際立たせているように感じられる。読み応えのある本で、直ぐに終えてしまうには惜しいと、じっくり味わっている。
これまで、誰かが住んだ家とかには、さほど関心が湧かなかった。だが今回子規庵を訪ねてみて、実際に背景を知ることは、理解を深める手助けになると感じた。
また、最初のホトトギス発行所となった神田錦町の家からここまで、虚子(高浜虚子)が歩いたその距離などにも思いが及ぶ。昔の人は日常的に、誰も彼も本当によく歩いたものと感心する。汗ばむ季節でなければ、私もせめて御茶ノ水くらいまで歩いてみたいと思う。毎年の検診のついでに、これまでも谷中や根津の辺りを歩いたが、まだまだ知らない所が多い。昔の人に倣ってまたいつか、あちこち徒歩で訪ねてみよう。