照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

明太子はご馳走か?〜自分の好物じゃない物がご馳走だなんて不思議だったのか

ある日の夕方、小学生だった長男が怪訝な面持ちで、「明太子ってご馳走なの?」と聞いてくる。唐突な質問になぜかと問えば、次男がスイミングスクールの進級試験の日、私が、「試験に合格したから、今日は明太子にしましょう」と言ったからと答える。

 
お祝いなら普通ご馳走のはずなのに、明太子ではどうしてもご馳走のような気がしなかったらしい。明太子大好きの次男と違って、その頃の長男は、明太子をあまり好まなかった。いくらは大好きであった。逆に次男は、いくらがあまり好きではなかった。
 
我が家の食卓には、家族の誰か一人だけが特別に好きな物が、沢山出てくることはあまりなかった。でも、ちょっとしたお祝の時は、当人の好物をたっぷり用意した。次男の場合は、明太子というわけであった。
 
今になって振り返れば、用意するとは何ともおおげさで、ただ並べたに過ぎない。親が楽するには、ぴったりの好物であったとも言える。
 
だが、いくら弟が好きな物とはいえ、長男の目には、どこにもご馳走の要素が感じられなかったのも無理はない。親の多少の名誉のために付け加えれば、もちろんおかずはそれだけではない。明太子は、プラスアルファの一品であった。
 
今でも明太子を見るたび、長男の不思議そうな顔が浮かんで可笑しくなってくる。確かに、明太子をご馳走と思う人は、かなりの少数派かもしれない。その長男も、今では明太スパゲッティが大好きだ。
 
ちなみに、幼稚園の頃、お弁当にキュウリが入っているのを見るなり泣きだした次男は、大概の野菜を好んで食べるようになった。
 
こうしてみると、子供の頃の好き嫌いは、あまり心配することはないと思う。何でもバランス良く食べさせようと無理強いするあまり、食卓がバツゲームや苦行のようになってはつまらない。食べることは、いつでも喜びでありたい。