照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

歩けば気分も変わるー歩く効用

歩くことはいいことづくしだ。血液の循環が良くなるので、少々の身体の不調も治ってしまう。現代の人を悩ます病気の多くは、過食を止め、運動することで大概は防げるという。運動というと、特別なことのように感じてしまうが、ただ歩くだけで充分だ。暑いといっても、時間帯の工夫では、熱中症の危険もなく歩ける。習慣にしてしまえば、わざわざ感もなく気軽に続けられる。続けることが大事だ。

子規が弟子の河東碧梧桐夫妻に頼んで、妹律を、つくし摘みに連れ出してもらったエピソードが『子規、最後の八年』(関川夏央著・講談社)に出てくる。喜んだ妹は、繰り返しその時の話をしていたようだ。母八重もまた、碧梧桐夫妻と行った桜見物の話を嬉しそうに何度も話したという。

子規の世話に明け暮れ、井戸端で近所の人とするおしゃべりがせめてもの息抜きといった日々。食事は、子規の膳に並ぶ御馳走からは程遠く、たまに野菜の煮付けがあるくらいで、ほとんどは香の物だけで済ます倹しさ。そんな律であるが、兄からはしばしば手厳しく評される。だが、不平も言わず黙々と自分のやるべきことを為す。

そんな暮らしの中でのつくし摘みや桜見物は、どれほど心安らいだことか。近所への買い物以外、遠出することのない者にとって、それは現代の旅にも等しいだろう。字のごとく、まさに遠足だ。今の時代に住む私にとっても、距離の遠近に関わらず、日常から離れた時点で旅という感覚が湧いてくる。

最初は、つくし摘みってそれほど楽しいのと思ったが、それは、別につくしでなくても構わないのだと気づく。場面が変わることが、大事なのだ。私も、考えに行き詰まったり、少しクヨクヨしたりした時など、散歩に出かけるとすっきりしてしまう。

見慣れた景色でも、樹木の緑、花壇や鉢植えの色は異なる。いつか気象予報士の方が、花は季節を追って、白、黄色、ピンク、紫(青)の順に咲くとおっしゃていたが、まったく同感だ。誤解のないように付け加えれば、それらの色が多いということであって、1月にピンクや紫の花もあるだろう。

ともかく、何か思い煩うことがあったら、歩いてみるといい。鬱状態なども、だいぶ改善されるそうだ。動くことで、気が流れるのだろう。現代は、野遊びくらいではレジャーとしてなかなか喜んでもらえないが、時には家族で、またはひとりで遠出などいいかもしれない。但し、今の時期、早朝、日の出前の散歩がお勧めだ。