照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

立秋で次の季節へのバトンが手渡される

昨日は立秋だったが、セミたちは早朝から大合唱で、自分たちの季節はまだまだとアピールしている。

だが、散歩コースに組み入れている畑の側を通れば、トマトの葉は緑から茶色に変わっている。ナスの収穫もあと僅かだ。その隣、トウモロコシが植わっていた一画は、すっかりきれいに整地されている。代わりに里芋が、季節のバトンを引き継ぐかのように、その葉を茂らせている。

夏の終わりも間近いことが、野菜たちを見れば一目瞭然で、季節は確実に動いている。記録的な猛暑日が続いていますと報道された翌朝も、熱帯夜があけてベランダに立てば、微かな風を感じた。陽が昇れば、ほとんどわからないほどの変化だ。

私は、夜から朝へ変わりゆくこの時間が好きだ。散歩に出れば、携帯を持ってこなかったことが悔やまれるほど見事な朝焼けの空に、しばし見惚れることもある。雲は刻々と形を変えてしまう。

早朝、日の出前の散歩も夏の間だけ。暑さが和らいだら、また陽の光の中を歩く。これまで、夏にさしたる思い入れはなかったけれど、移りゆくことを意識すると、急に名残惜しくなってくる。まったく天邪鬼なものだ。

昨晩は、このところ珍しく涼しい風が吹いたが、日中の暑さは、後ひと月ほどは続くだろう。夏野菜たちの出番もまだ続く。せめて露地物が出回っている間に、味わっておこう。

下の写真は、2013年1月3日、ラオスルアンパバーンを訪れた時のものだ。
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土手の斜面を畑として利用しており、トウモロコシや豆が植わっていた。少し街中を外れれば、もちろんちゃんとした広い畑はある。

朝市を眺めながら、いつでも暑いこの国では、野菜の旬などあるのだろうかと、ふと感じたのを思い出した。四季のある日本にいては、わからない事が多い。

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トウモロコシ
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手作り感あふれる階段

ラオスのトウモロコシ畑の写真を見ていたら、また行きたくなってきた。汗をかきながら、狭い街中を歩いたり、メコン川を眺めながらビアラオを飲んだ日が蘇る。

立秋に、ラオス以外にもさまざまな国の暑さを思い出し、四季のある幸せを改めて感じた。

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