照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

憂いるよりはうまくいくと信じる

私がまだ新米ママ成りたての頃は、ちょっとしたことでも、過剰に心配してオタオタしていた。そのたびに、母に電話しては不安を聞いてもらっていた。そんなある時、何事も、憂いるよりは、うまくいくと信じた方がいいと言われた。

その言葉は、ずっと私の心に残っていて、今なお、考え方の指針となっている。これまでにもしばしば言及しているが、物事は、良くも悪くも半々。どちらの側面から見るかだけで、ずいぶん変わってくる。

どのような時でも、悲観的に沈み込むよりは、上手くいくに違いなと、楽観視していた方が心が楽だ。元々が能天気な質の私だから、自分だけのことならそれで大丈夫だ。

だが、子どもに何かあった場合は、やはり気が気ではなく、なかなか泰然とは構えていられない。でも、そのような時こそ、憂いることなく、何事も無いよう祈るしかない。思えば、子どもたちが幼い頃は、まったくいろいろなことがあった。

公園の、高さのある滑り台から、真っ逆様に落ちたり、車にぶつかったりと、殊に長男は、親を心配させてくれた。よちよち歩きの頃は、公園で見つけたネズミモチの実を、あっと言う間に口に入れてしまったこともある。すぐ飲み込んでしまったため、慌てて帰宅して、植物図鑑で調べると、小鳥も食べるとかで、毒性がないことがわかってほっとした。今改めて調べたところ、毒どころかむしろ万能薬のようだ。

歩き始めばかりか、つかまり立ちするようになったら、子どもから目を離せない。おんぶして炊事していても、手が伸びる範囲は要注意だ。私が気づかないうちに、炊飯器を触り続けていて、軽い火傷したこともある。本当に子どもは、好奇心の塊だ。

自分ではどうしようもない事には、泰然と構えているしかない。だが、ちょっとした注意で、危険を未然に防ぐことができるのなら、そのための努力は必要だ。それでも何か起きてしまったら、憂いたくなる思いを押さえ、良い方へと、静かに祈るしかない。ちなみに、交通事故にあった長男は、おかげさまで、無傷であった。

その時の、不思議なほど物事が上手く運んだ件については次回へ。