経験としての贅沢も時には必要
いつかできたらいいなと思う、贅沢の類いの一つや二つは、誰にもあるだろう。とてつもないというわけではないが、何とか頑張れば手が届く、いわば背伸びした贅沢だ。
それは例えば、自分にとって心理的にハードルが高い場所、とびっきり豪華なホテルやレストランなどだ。もし、行ってみたいと思いながらも、躊躇っているならば、ぜひ経験しておくといい。
なぜかといえば、憧れで目が眩むことがなくなるからだ。つまり、道具立てや雰囲気に惑わされることなく、自分なりの判断ができるようになる。
但し、一度だけでは、我知らず舞い上がってしまっているので、何もかもが素晴らしく思えてしまう。それに、使った金額に見合う分の満足を得られたと、思い込みたくもなる。だから、できれば二度以上経験するといい。
すると、どのような場所であっても、どのような人に会う時でも、怖気づくことなく、堂々としていられるようになる。幾度かの経験で、自分が、どのように振舞えばいいか分かってくるからだ。
何も知らない時ほど、敷居が高く、自分が場違いに思えるので怖く感じる。だが、背景を取り払えば、素が見えてくる。それは場所だけではなく、人だって同じだ。学歴や出自、財産の多寡や職業などは、まったくの背景だ。
日常的に自分とは無縁の世界は、経験しない限り、憧れだけが残る。ややもすると、それができる人を羨んだり、そのあげく、卑屈にさえなりかねない。もしくはその反動で、逆の立場になった途端、自分を偉いと勘違いした行動に出ることもあるだろう。
どのような時でも、驕らず、卑屈にならず、ありのままの自分でいるためには、憧れの向うを知っておくことも大事だ。すると、自分にとって、本当に必要なものだけが見えてくる。と同時に、自分は、自分以上でも以下でもないこともわかる。
つまり、人の価値観や評価にとらわれることなく、我は我なりと達観していられるようになる。経験としての贅沢も、時には必要だ。