照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

考え方は柔軟にー自分で自分の枠を作りすぎない

私には、斯くあるべしというようなものは、何一つない。若い頃は、(こう在りたい自分)のようなイメージに縛られがちだったが、今は、臨機応変がモットーだ。
 
以前は、信念に基づいた生き方を素晴らしいと考えていた。だが、たとえ心の中だけでも、信念の表明のようなことをした後、必ずその決意を問うような事が起った。といっても、私という器に合わせたかのように、だいぶささやかなテストで済んだ。

また、それは自分ばかりか、同僚にも起きた。例えば、誰かに批判的だった人が、自分だったらこうすると自信満々言っていたのが、いざ自分が同様の立場になると、いきなり前言を翻したりした。このように、自分の正義を強く主張する者へは、有言実行を促すようなことが、問題が深刻な時ほど決まって起きた。
 
それ以来、ふと偉そうなことが心に浮かぶたび、(今のは、ほんの少し思っただけですから、信念というほど強くはありませんので・・)と、誰とも名づけようのない大きな力に向かって、言い訳をしている。神の存在を信じていない私だが、便宜上、それを神と呼ぶこともある。
 
臆病者の私にとって、よほどの覚悟がない時以外、思うことが現実になるのは怖い。悪い事は起きて欲しくないから、思わなければ起きないだろうと、単純に逆のことを考えてみた。自分だけのことなら、思った結果、どのような試練が来ようとも引き受けるという心構えではある。だが、やはりできることなら平穏がいい。
 
要は、自分で自分の枠を作り過ぎたり、信念を振りかざし過ぎたりには、注意が必要ということだ。そのためにも、社会状況や自分の変化に伴い、いつでも軌道修正できる柔軟性を備えておきたい。どだい能天気な私だ。あまり偉そうな考えは似合わない。それに所詮、私は自分の器に合った生き方しかできない。