照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

北風小僧の寒太郎がきた朝

日曜日の朝、散歩に出ると風が冷たい。いつもとは別の道を行くと、大きな栗の木が目に入った。その道は何度も通っているけれど、そのお宅の庭に、栗があることに気づいたのは初めてだった。もっとも、木が奥まったところにあるため、実が成っていなければ分らなかっただろう。
 
私は、木が好きだ。植物図鑑の他に、樹の本も持っている。大きな木に咲く花も好きだ。でも、大輪で、香り高く艶やかな泰山木よりは、朴や辛夷のようなひっそり感が漂う花が気に入っている。
 
だが、サンフランシスコに行った折、ケーブルカーの終点で何本もの泰山木を見たときは、何だか知り合いに会ったような気がして、懐かしく嬉しかった。一人旅の自分にとって、フワッと心が解れる瞬間だった。
 
でも後で調べると、原産国は北アメリカ南部で、日本に来たのは明治初め頃とのことだ。見知った花は、何でも自分の国から渡ったと思ってしまう自分が、可笑しかった。
 
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大根

よその方が丹精したお庭を眺めついでに、いつもの畑まで行ってみる。葉を繁らせている大根に、今日は寒太郎が来たから、出番も、もう少しだねと声をかける。昨年の晩秋は、用事で出かけた調布で、大根の日のような光景に出会ったことなども思い出した。

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これからは、本格的な寒太郎の季節だ。こちらだって、負けてはいられない。太陽さんの心意気だなんて、意気揚々と歩いていたら、すっかり汗ばんで、Tシャツだけになった。旅人さんのコートを脱がせるより先に、自分が上着を脱ぐなんて。照る葉の森バージョンのイソップ寓話が必要かな。

ジリジリ太陽だろうと、ピューピュー北風だろうと、おかまいなしにずんずん歩いていると、凡そ人の役には立ちそうもないアイディアばかりが溢れてくる。誰が読むんだそんな物、との声も聞こえてきそうだ。なかなか哲学的思索に耽るまでには至らないが、何はともあれ散歩は楽しい。

ちなみに、木枯らし一号が吹いたと知ったのは、翌日のラジオからであった。小僧どころか、本格的な北風だったのだ。まったくオメデタイ私だ。
 
でもその後から数日は、日中などやや暑いほどで、寒太郎も戸惑っていることだろう。だが、季節は進む。もう少し待っていてもらおう。今週で10月も終わりだ。