照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

何事もない日々こそ奇跡の連続

普段当たり前のようにしていることが出来なくなった時は、本当に途方にくれる。水や電気にガスといったライフラインはもちろんだが、会社のシステムでちょっとしたトラブルが発生したりといった時なども、本当に困ってしまう。
 
完全にシステムダウンしてしまったら、まったく仕事にならないが、それほどの大きなトラブルというより、ある1部分だけシステムが使えない場合などだ。そんな時はしかたがないので、別の方法で仕事を進めるしかない。これが結構面倒だ。
 
数時間後、システムが通常に戻ると、俄然仕事が捗る。その嬉しさについ、(普通にできるって、有難い)とつぶやいてしまった。すると前の席の同僚も、共感したように頷く。
 
その少し後で、今度は、自宅の窓の鍵が開かなくなってしまった。鍵をかけた後で、雨は上がったかもう一度確認しようとした時だ。ボッチ状の部分が、どうやっても押せない。少しの間奮闘したが、諦めてそのまま出掛けた。
 
電車の中でも、部屋の窓が開けられないことによる、不便な事の数々が浮かんできて憂鬱であった。朝起きぬけに、ベランダに出てひんやりした空気を吸うのは気持ちがいいが、それもできない。洗濯物だって干せない。
 
それに、先月からずっと楽しみにしていた、金星だって見られない。月と木星と金星が並んでいたのを偶然見つけたのは、今月6日の早朝であった。翌日は木星と月の位置が入れ替わるのに、曇っていて見られなかった。結局、それ以来観察できていないのにと、残念な気がした。
 
どうしても必要なら、次男の部屋を通らせてもらえばいいのだが、それは考えただけで面倒だ。このまま窓が開かなかったらどうしようと、あまり重要ではないことばかり、次から次へと、頭の中に広がる。
 
仕事が終わると急いで帰宅、改めて鍵に向かった。この場合の対策を、インターネットで予め調べておいた。まず、ドライバーで、ネジの緩みを調整してから、ボッチを押す。すると、拍子抜けするほどあっけなく押せた。

なあんだと思ったが、それでも嬉しさに小躍りしたい気分だ。すぐさま窓を開け、あらゆることに感謝した。根が単純な私は、少しのことでも大喜びしてしまう。憂鬱だって、即座に退散だ。

それにしても、何でも当たり前と思い込んでいることのすべては、実は当たり前ではないと改めて感じた日でもあった。何事も無く過ごせる一日一日が、実は奇跡なのかもしれない。オーバーではなく、本気でそう思えた。