照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

誰かに正解を求めるのではなく自分なりに考える習慣を

"ネット上で拡散されている、パリでのテロ攻撃に喜ぶロンドンのイスラム教徒の動画が、実は英国系パキスタン人たちが2009年のクリケットの試合の勝利に歓喜している様子を編集したもの ..."というツイッターに、暗澹とした気持ちになったところへ、
 
 
”ロンドンの地下鉄ピカデリーサーカスの駅で、イスラム教徒の女性を線路に突き落とそうとして逮捕された81歳の日本人男性”という事件を知り、パリでのテロ事件に刺激されたにしても、何と短絡的な事をと思ったら、こちらは、それより前、11月10日のことであった。
 
ロンドンの事件は、動機がまだ解明されていないようだが、今回のテロ事件に誘発されて、イスラムの人々へ憎しみを向ける人が現れる可能性はある。だからこそ、それを期待して、わざと捻じ曲げた映像が流されるのだろう。
 
人は、自分の思考範囲を超えたことに対して、訳も分らず恐怖心を抱きがちだ。それは、人としての防衛本能に基づいているのかもしれない。だが、それでは何事も前に進まない。怖いと思う根底にあるものをしっかりと見据え、知ろうとすることが大事だ。
 
それにしても、人と人を分断させる意図を持って煽る人には、まったく憤りしか感じない。また、それ以上に、自分たちの思う方向へ、人々の感情を一気に高めようと操作することは、尚のこと許せない。
 
湾岸戦争の時の、重油にまみれた鳥の写真は、記憶にある人も多いと思う。それも、ナイラ証言も、今では、世論に訴えるための作り話だったことが分かっている。あの時は、文化人と称される人々の多くが、日本も、お金だけでなく人を出すべきだと、声高に主張していた。
 
何が正しいのか間違っているのか、歴史が証明してくれる頃には既に遅い。そもそも誰にとっての正しさなのか、その基準すら揺らぐ中では、結局、その時々に、自分で判断を下すより他はない。そのためにも、日頃から、腑に落ちないことは、自分なりに考える訓練をしてゆくしかないと思う。
 
どれほど共感を覚える立派な意見だろうと、自分で噛み砕くことなく、そのまま真似たところで、所詮それは借り物、自分の言葉にはなり得ない。たとえ幼稚だの、頭がお花畑だのと言われようが、自分なりの考えを持つことが第一歩だ。