照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

豊かな食卓の光景ー1編の詩から

つましい朝食を済ますたび、ああ美味しかったと、思わず口を突いて出る。そんな時、いつも浮かんでくるのは、河上肇の「味噌」という詩で、”うましうましとひとりごち”が、そのまま私の心境に重なる。
 
田舎から送られてきた赤芋(里芋)を、味噌と砂糖で味付けして食べる話で、配給の味噌を買いに行くところから始まっている。

"・・・・・
持ち帰りたる白味噌
僅かばかりの砂糖まぜ
芋にかけて煮て食うぶ
どろどろにとけし熱き芋
ほかほかと湯気たてて
美味これに加ふるなく
うましうましとひとりごち
けふの夕餉を終えにつつ
・・・・・
"
(『詩のこころを読む』茨木のり子著、岩波ジュニア新書、P・209・「味噌」より抜粋)
 
私の心に、幸せな食卓の光景として焼き付いているのが、以前にも引用させてもらったこの箇所だ。茨木のり子は、"「清福」という言葉、その内容を、これほどしみじみと悟らせてくれる詩もありません。"(P・211)と、この詩の解説を結んでいる。
 
 
1944年元旦にかかれたという。戦争末期の物のない頃、食料事情は、どこも似たようなものだったのか、それとも、筆者がとりわけ貧しかったのかは分らない。だが、今の時代から見れば、まことに倹しい夕食だ。
 
だがそこには、貧しさよりは豊かさが感じられる。1本30銭の白菊を買い求める心の余裕が、わびしい食卓を彩る。

寒い時期に、ふうふうしながら食べる里芋は、身も心も、十分に温めてくれたであろう。幸せが、湯気と一緒に立ち昇ってくるようで、読むこちらまで暖かな思いで満たされる。
 
食べるとは、いつでもこうでありたいと思わせてくれる。まさに茨木のり子の言うように、清福ということを教えてくれる詩だ。
 
ちなみに、以前の記事はこちら