照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

欲は人を際限なく貧しくさせてゆくと考えさせられた記事

先日のニュースで、欲について考えさせられた。記事によると、夫から資産10億円を相続した高齢の資産家女性が、財産は、長年尽くしてくれた家政婦へ残すと遺言して亡くなったそうだ。すると、実娘二人が財産を全て持ち去った上、それまで雇い主と一緒に住んでいた家も追い出された。

 
亡くなった時点での財産は3千万円になっており、娘二人は、家政婦が使い込んだから少なくなった、その分も返せと更なる要求をしていた。また、遺言も、高齢で判断力が無くなった親に、家政婦が書かせたので、無効だとも主張していた。
 
だが、実際には、実娘二人からの度重なる無心によるものと判明した。娘が、海外に移住するからと3千万円無心した時には、お金を渡すのはこれで最後との念書もとっていたという。だが、実際にはすぐ日本に帰って来て、結局親の家に同居、親は周囲に、娘に財産を全て取られそうと漏らしていたそうだ。
 
結果は、老母の世話もせず、際限なくお金だけを要求してくる実娘たちより、中学卒業後から、長年に渡り献身的に尽くしてくれた家政婦に、財産を残したいと考えるのは自然な感情と判断され、娘たちの敗訴となった。
 
この記事を読みながら、世界でもっとも貧しい大統領として知られた、元ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ氏の言葉が重なってきた。ちなみにこれは、以前にも参照させて頂いたが、リオ会議でのものだ。
 
"貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。"(スピーチより)
 
まさにこの言葉を、地でゆく娘さんたちではないか。それにしても欲は、人を際限なく貧しくしてゆくものと、しみじみと考えさせられた。これほどの額ではなくとも、家族間での類似した事例を聞くことはある。欲は欲を呼び、もっともっととなってゆくのだろう。
 
金持ちの世界なぞは、自分にはトンと縁がないものだから高みの見物でいられるのかもしれないが、人の懐を当てにした生き方なんて嫌だ。やはり、自分の収入に見合った暮らしが一番だと思う。
 
財産があったに越したことはないと、持ったことのない私などは一瞬考えないでもないけれど、こうしてみると、有ればあったで別の悩みもでてくる。むしろ、無限の欲地獄へ落ちないでいられるだけ、持てない人は幸せなのかもしれないとさえ思えてくる。
 
でも実際のところ、あれば嬉しいし、と人の心は複雑だ。我欲からどのように距離を置いていられるかが、人にとって永遠の課題なのかもしれない。