照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

無人島に持ってゆくとしたら?ー私が迷わず選ぶ本

もし、無人島へ行くなら、持っていきたい本は何だろうと考えることがある。私にとって何度読んでも色褪せない本は、和辻哲郎の『古寺巡礼』だ。もう1冊OKとなったら、『イタリア古寺巡礼』も加える。

来週、大阪へ出張するついでに、休みを利用して奈良へも回ることにしたので、『古寺巡礼』を読んでいる。繰り返し読んだはずなのに、細かな描写は、記憶からするりと抜け落ちていて、一文字一文字が、新たに染みこんでくる。

"柿の木はもう若葉につつまれて、ギクギクしたあの骨組みを見せてはいなかったが、麦畑の中に大きく枝をひろげて並び立っている具合はなかなか他では見られない。"(和辻哲郎『古寺巡礼』・岩波文庫・P・35)、などの何ということもない風景描写に、いちいち頷く思いだ。

"ギクギクしたあの骨組み"の箇所に、思い出に残るいろいろな柿の木が浮かび上がってくる。今回のポルトガルへの旅でも、実をつけた柿の木を見つけた途端嬉しくなった。自分が柿好きのせいか、柿の木のある風景には、どこであろうと郷愁を感じる。

柿の木に限らず、このような、どちらかというと見過ごしてしまいがちな細かな部分をも捉える感覚は、当然ながら、仏像や建物の鑑賞には遺憾なく発揮されている。

美術鑑賞の手引きとして優れているのは、世の認めるところだ。それに加え、『風土』にも通じる自然への眼ざしが、私を惹きつける。風景描写に著者自身の過去への思いなども重なり、それがこちらの共感を呼び起こし、心の中にじんわりと響いてくる。

一昨年、浄瑠璃寺へ行ってみようと思ったのも、辿り着くまでの記述に惹かれたからであった。著者が訪れた頃とは、何もかもが雲泥の差とは承知ながら、雰囲気だけでも想像してみたかった。

車に乗っていられないほどのでこぼこ道など、今やどこを探してもお目にかかれないだろうが、当時、そうまでしても行かずにはいられない場所に、俄然興味が湧いた。村と一体化して、まさにその場に相応しいお寺の、立地だけでも知りたくなる。いざ訪ねてみれば、実際、遠い刻を隔てて尚、長閑さを感じられるところであった。

著者が、古寺巡りをした時からほぼ100年、道路事情はもとより、辺りの様子もすっかり変わっているが、核となるものはそのままだ。中宮寺弥勒菩薩の静かな微笑み、唐招提寺のたたずまい、聖林寺の十一面観音とあげれば切りがなく、奈良は私を、磁石のように引きつける。いつでも先達となるのが、『古寺巡礼』だ。