照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

自分の頭で考える習慣は大切ー金太郎飴のような借り物の意見に思う

会社での昼食時、テレビのニュースに対する同僚のコメントに、何だかなあと思うことがある。今年は年明けから、驚くようなことばかりあった。だが、どのような問題であろうと、同僚たちの口から出る言葉は皆同じ、まるで金太郎アメのようだ。

多分、同じテレビ番組を見ているのだろうと思うが、自分の感想の一欠片もないことが気になる。そして、コメンテーターそのままの言葉に、すっかり解った気になってしまっている怖さを感じる。

そのようなことを言うとすぐ、上から目線と矢が飛んできそうだが、やっぱり気になる。もちろん同僚たちの前で、そんな偉そうな発言はしない。第一、私だって、たいした考えがあるわけではない。だが、何となく、もやもやが残る。

これは社内ばかりか、街中でも同様だ。カフェで、電車の中で、得々と話す声は否が応でも耳に入る。どこかで聞いた内容だと振り返ってみれば、ランチタイムでの会話だったと思い当たる。そして、皆、どうして自分なりに考えないのだろうと、余計にもやもやが積み重なる。

自分の興味以外のことには申し訳程度の関心しか示さず、ややこしい問題など、テレビで、もっともらしい人の解説を聞けば十分といった国民が増加すれば、背後で喜ぶのは誰かと、自分たちの近い未来に暗澹とする。A層B層などと揶揄されたくないが、仕方のないことなのかなと思えてくる。

それにしても、分かっても分からなくても、人の説明で納得する前に、先ずは自分の問題として考えることが大切だ。分からなければ、調べればいい。人の意見を参考にするのは、それからだ。

正直言って、私だって興味のない分野もいっぱいある。でも、興味が無いからと無関心でいいわけも無く、回り回れば、自分に関係のある大事なことばかりと気づく。だからこそ幼稚でも、自分の頭で考え続けてゆきたい。