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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

報道されるのは絵になる部分ー改めて雪の朝を振り返る

社会
先月、1/18日の雪の朝のことを思うにつけ、映像を見た人と、実際にその駅を利用している者では、だいぶ捉え方が違うと感じる。

私が利用している駅の改札規制の様子をテレビで見た人は多く、大変だったみたいねと複数の人から言われたが、いち早くバスに切り替えた私からすれば、事故等で電車がストップしてしまった時と変わらず、大変でも何でもなかった。

おまけに、あんな状況で無理矢理会社へ行くなんてどうかしているという声が、ウェブ上からよく聞こえてきたが、ラッシュ時は、2分間隔くらいの運行でも満員という状態なのだから、間引き運転すればたちまち人が溢れることなど至極当然で、社畜だ何のという以前の問題だ。

ニュースで放映されるのは絵になる部分ばかりだが、テレビでそれを見ている人にすれば、首都圏の大部分の駅がそうだと勘違いしてしまいがちだ。結局、一面しか見ていない、というより、見させられているのだが、それを元に、さまざまに批判することへも疑問を感じた。

実際、会社では、路線によっては無理せずに通勤できた人も多く、社畜という言葉も、どんな犠牲を払ってでも行くことに意義があるといったよく分からない意見にも、どれもこれも外野の言葉だなと感じた。

私の勤務先の場合、状況によっては、出勤不可という理由で出社しなくてもOKだし、午後からの出勤でも何ら不都合はない。まして、社内の目に遠慮する必要などさらさらない。私は、常日頃から、何かあっても大丈夫なようにとの意識で、時間に余裕を持って家を出ているので、あの朝も、時間がかかったとはいえ、始業20分前には会社に着いている。

だから余計に、実情を知らない人が、ポイントのずれたさまざまな良い案を出すことへも、まったくハテナマークが浮かぶ。要するに皆、メディアに踊らされているようなものだ。

しかし今回は、自分が当事者であったからこのようなことが言えるが、もし一方的に情報を受ける立場だったら、やはり同様に、自分を外野とも思わず、声を高らかに正義感に溢れた意見を吐いていたかもしれない。そう思うと、物事を一面から判断する怖さのようなものを感じる。そして、聞いたことも、見えていることも、それが絶対と鵜呑みにしてはならないと自戒する。