照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

奈良・法隆寺へ

法隆寺駅から、法隆寺前までバスに乗って行ったが、バスを降りて南大門へ行くまでに、来て良かったという思いが広がる。まったく現金なもので、東大寺はどうしたと、自分にツッコミを入れたくなるほど、入り口にもたどり着かないうちから浮かれている。

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法隆寺 南大門

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飾り瓦を見て歩くのも興味深い

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檜皮葺の門

最初は、隣の中宮寺だけでもいいくらいに思っていたのだが、ひとたび境内に入れば、じっくりと回りたくなってくる。お寺全体の雰囲気としては、やはり法隆寺が一番好きだ。高校の修学旅行では、玉虫厨子の素晴らしさがよくわからず、何だかやたら歩いたという記憶しかない。だが今は、この広々とした感じがいい。

ちなみにお寺巡りには、ウォーキングシューズのような歩きやすい靴がおすすめだ。法起寺、法輪寺まで行こうと思えば、かなり歩く。また、埃っぽくもなるので、スエードなどのおしゃれな素材は、避けた方がいい。

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金堂の壁画を、目を凝らして見る。これは、復元されたものということだが、だいぶ色が抜けたそのかすれ具合もまたいい。題材はまったく異なるが、海外の教会で壁画を見た時と同じような感覚が蘇って、神妙な心持ちになる。

人の心からそのような思いを引き出す絵師の力に、ただ敬服するばかりだ。遥か昔の美術品に接するたび、建物でも何でも、その工夫に驚かされ、果たして人は、進歩しているのだろうかと感じることがある。

入り口から入ってすぐのところにある、ガラスケースに収められた観音様たちを眺めながら、顔から全体の雰囲気まで、百済観音によく似ているなと思う。止利仏師の流れをくむ仏師の手によるものだろうか。ちなみに、材に楠を使ったのもこの頃までらしい。

かなり前になるが、東京の国立博物館でこの仏像を見た時は、後の時代の、どっしりとして威厳ある仏像たちに比べ、ずいぶん儚げに立っていると感じたことを思い出す。思わずこうべを垂れるというよりは、その優しいお姿に、心静かに手を合わせたくなってくる。

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法隆寺 夢殿

夢殿の形もユニークだが、写真で拝見するご本尊のお顔もまた変わっている。春秋2度の、秘仏のご開帳に合わせて訪れたいと思いつつ、なかなか機会を持てないでいる。1度は、ぜひお会いしたいものだ。