照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

宮崎へ心の洗濯に

人生の終盤を意識するようになって、心も身体も元気でいられる暮らし方へ、気持ちがどんどん動いてゆく。これまで十分働いてきた。そろそろ休んでもいいかなと思う。ギリギリまで会社にいるよりも、心身共に気力があるうちに、時間にとらわれない旅もしたい。実際、歳を重ねる毎に、いろいろなことが億劫に感じられるようになってきている。

そんなことを考えた日から1年と数ヶ月、3月で、長らく勤めた会社を退社することになった。半年以上前に去る予定が、諸事情で延び延びとなり、ようやくの感がある。

あと少し、あと少しと、退職の日を心持ちにしているうちに、忙しい日々も次第に緩やかになってゆき、もう少し長く居ても良かったかなとさえ思えてきた。そのように、仕事へもやや執着が湧きかけた頃、ポルトガルへ旅立ったのだが、年明けて帰ってきた途端、そんな思いはきれいさっぱり消えてしまった。

そして、病気でお休みしていた同僚の復帰を待って、仕事を引き継いだ。1年のブランクがあるとはいえ、会社のシステムに慣れた同僚への引き継ぎは、予想以上にスムーズで、おかげで私は、有給消化の長いお休みを頂くこととなった。ちなみに以前の彼女の仕事は、彼女が病気でお休みしている間担当してくれていた新人さんが、そのまま続けることになった。

まったく嬉しい限りで、ワクワクしている。そのワクワク第一弾が、宮崎への4日間の旅だ。休みの初日、朝7時40分発の飛行機で宮崎までやって来た。時間はたっぷりあるのだから、しばらく休んでからでもよかったが、なぜか一刻も早く訪ねたく、飛行機も早い時間にしたくらいだ。

宮崎で、先ずは心の洗濯だ。この地で、陽を浴びて、風に吹かれているだけで、身体中に気が溢れてくる思いがする。「宮崎は何にもないのよ」という友人の言葉に、他所者の私は、「だから良いのよ」と答えたが、その思いに変わりはない。

これまで訪ねた土地にはそれぞれの良さがあって、どこも甲乙つけがたいが、宮崎はまた格別だ。言葉では説明し難いが、私には合っている。だからこそ、休みになった途端、いの一番に訪れたくなったのかもしれない。神話にはあまり興味のない私だが、ここ宮崎が、神々に選ばれた地というのもしっくりくる。