照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

散歩の楽しみー畑がある風景

家から10分程歩いたところには畑があって、何が実るか散歩のたび楽しみである。それより更に20分位行くと、もっと大きな畑もあって、たまには何か買うこともあった。

時間がたっぷりできたので、久しぶりに足を伸ばしてみると、畑のあった場所には数十軒の真新しい家が建ち並び、畑はほんの一部分が残るのみであった。夏の朝、老夫婦に中学生くらいの孫が、トマトの選別などしていることもあったが、畑の持ち主が亡くなられたのであろうか。

畑の周りに成る柿や夏ミカンを買ったこともあるが、その木もほとんど伐られてしまったようだ。いつまでも変わらない物など無いとは、頭では解っているが、何とも寂しい限りだ。

私がこの地に越してきて十数年、畑も、大きな家も、ほとんどが小規模な住宅に変わってしまった。マンションの場合もあるが、いくら広いとはいえ個人のお宅、規模的にやはり戸建てが多い。都区内で畑のある風景を望む方が贅沢とはいえ、一抹の寂しさは感じる。

サザエさんで知られる辺りは、だいぶ都心に近いイメージだが、周りには結構広い畑がある。この方面も、とんとご無沙汰だ。思い立って、散歩の足を向けてみると、高齢と思しき方が畑仕事をされていた。

眺めるだけの自分は気楽なことを言っているが、現実問題として、耕す人がいなくなれば、処分せざるを得ないだろう。それでも、このネギや茎ブロッコリーがある光景に出合えるのは、いつまでだろうとやや感傷的になる。

実際、そこまでくる途中にある別の畑は、更地にした形跡があった。かつてここで、ウグイスの声を聞いたこともあったと懐かしくなる。庭どころか土さえもない、集合住宅の狭い部屋に暮らす私からすれば、まことに勝手なようだが、散歩して心安らぐ場所って案外大事な気がする。

人が丹精したおこぼれを味わわせて頂く身としては、その光景が突然途絶えようと、口を差し挟むことはできないが、できることなら、ずっと続いて欲しいと願う。だが、首都圏に暮らす人の割合が、この国の全人口の1/4という国勢調査の結果に、畑もお屋敷も、遠からず姿を消してゆくのだろうなと思う。それが時代の流れなのだ。

変わることなく、停滞する方がむしろ恐いかもしれない。エネルギーが無くなれば、朽ちてゆくだけ。ノスタルジアに留まろうとする私は、よくよく心せねばならない。ふと、そんなことを考えた朝であった。