照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

『楽園のカンヴァス』の謎解きにひきこまれて

私は原田マハさんの『キネマの神様』を読み、この方の映画を通しての物事の捉え方に深く共感し、それでは他の本もと、『ジヴェルニーの食卓』と『楽園のカンヴァス』をすぐさま電子版で買った。

『ジヴェルニーの食卓』を読み始めた当初は、画家の生きた時代、主に晩年にその間近に暮らした人から見た画家という設定が新鮮で、やはり引き込まれた。まさに善人といった人たちばかりが出てくるお話は、読んだこちらまでそこに連なっているような気がしてきて、何とも心地よかった。

だが何編か読むうちに、登場人物の優しさや奥ゆかしさ、そしてマシュマロのような語り口に、次第に物足らなさを感じ、ついには読む手がパタリと止まって、どうにも読み進められなくなってしまった。

それが今月初め、せっかくなのでと『楽園のカンヴァス』を旅先で読み始めた。すると、絵がテーマでミステリー仕立てということもあってか、その面白さにグイグイ引っぱられ、たちまち読み終えてしまった。それまで放っておいたことを、残念にすら思ったくらいだ。

絵は好みの問題なので、本の中で語られる解釈とは別に、それぞれ読む人ごとに自分なりの絵への思いが湧き上がるだろう。だがそれを踏まえても、著者の、画家や絵への深い愛情が伝わってきて、できることなら、実際に絵の前に立って、その想いを共有してみたくなった。

それにしても、よくこんなストーリー思いついたものだと、絵画への興味が更に湧く。折しも、国立西洋美術館では、長らく行方不明であったというカラヴァッジョの《法悦のマグダラのマリア》が、研究者により真筆と認定され公開されている。

個人蔵というその絵の前で、ふと『楽園のカンヴァス』の謎解きが重なって、本のようなことは実際あるかもしれないと思えたりした。これからは絵の前で、とんでもない遠くまで、想像力を羽ばたかせてみるのも面白そうだ。きっと絵の見方が、縦横ばかりか奥へも、グンと広がるだろう。