照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

鼻を利かしてみればー楠から良い香りが

散歩していると、仄かにいい香りが漂ってきた。街路樹の根元にも、建物の前にも、特に花は植わっていない。どこからだろうと上の方を見上げれば、やや高台になった所には沢山の楠があった。まさかという思いで、しばらくそこに佇んでいた。

樟脳の原料が楠とは知っていたが、こんな爽やかな香りという記憶はなかった。私が子どもの頃、夏になると母は、部屋へいっぱいにロープを張り巡らせて、着物の虫干しをしていた。私は、着物の下をくぐるのが面白く、叱られながらも通り抜けを楽しんでいた。その時、部屋には樟脳の匂いもしていたが、いい香りどころか、むしろ臭いと感じていた。

楠の木は結構好きで、かつて、都立林試の森公園の近くに住んでいた頃、公園内に入ると真っ先に、大きな楠が何本も並んでいる所へ行った。幹に手を触れてじっとしていると、身体中に気が漲ってくるような気がした。奈良時代には、仏像を作るのにも使われた木ということで、私の中に勝手な思い入れもあったのかもしれない。

いずれにせよ、楠に限らず、大きな木は概して好きだ。それでも、手を触れたくなるのは楠くらいであった。公園内へは、かなりの歳月、四季を通して足を踏み入れていたが、香りの記憶はない。だから余計に、いい香りが、楠からとは半信半疑であった。また、別の日に大きな楠を見つけたので、葉を拾って嗅いでみたが、特に匂いはしなかった。

それから数日後の早朝、ラジオから、楠について話しているのが聞こえてきた。何と良いタイミング、と耳を傾けた。楠の落葉は、丁度今頃だという。そして、その葉を揉むと、香りが立つと言うではないか。スタジオで楠の葉を嗅いでいるアナウンサーも、「独特の爽やかな良い香りですね」というようなことを言っていた。

早速その日、公園で楠の葉を拾って揉んでみると、先日上の方からきた香りと同じだった。しかし、あの時の楠の香りは、どこからきたのだろう。あの場所の楠以外からはまったく感じられないのに、葉や樹皮から自然に香ってくるってあるのだろうか。でも、葉は揉んでもいない。

今一度確かめに行っても、微かな香りを再びとらえることができるかどうかの自信はない。やはり謎だ。でも時には、鼻を利かせて木を想うのもいいものだ。散歩がますます楽しくなる。