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照る葉の森から

旅や日常での出会いを、スケッチするように綴ります。それは絵であり人であり、etc・・・。その時々で心に残った事を、私の一枚として切り取ります。

今自分にできることー熊本を中心とした地震に思う

熊本を中心とした連日の地震に驚き、寝言のようなこと綴っていていいのだろうかと考えてしまった。今、自分にできることは何かと考えることはとても大事だ。だからといって、自分の生活を規制するまでは、やはり行き過ぎだと思えるので、これまで通りにすることにした。

5年前の大災害の時は、被災県の知事から、過度の自粛はしないで下さいという声があがったことが思い出される。(被災地の方々を思えば、自分だけが普通にしていていいのだろうか)と、後ろめたい気持ちになって、家の中でジッとしていたのでは、経済はもっと停滞してしまう。

それよりは、旅行でも何でも予定通りにして、自分が使うお金の一部を、少額でも都度取り分けておいて、まとまったら寄付するという方法もある。どのような慰めの言葉よりも、災害に遭った時は、お金が一番役に立つ。

但し、物品を送るのはよほど気をつけなければならない。例えクリーニング済みでも、衣類などは、かなり迷惑ということを読んだことがある。受け取ったところで、保管に、仕分け、配布したりの手がないという。おまけに、洗濯もされておらず、着用をためらうような服には、かなり閉口したようだ。最悪なのは、箱にぎっしりの千羽鶴というのもあったが、これはその通りだと思う。

被災地の方々を思う一方で、これはいつ自分の身に起きてもおかしくない事と、緊急時への自分なりの対策を、もう一度見直すつもりだ。自主避難にしろ、勧告が出されてからにせよ、すばやく行動できるかどうか、このところあまり考えていなかった。教訓となる記事を読んだ後では、ああそうだとなるのだが、どうしてもその場限りで終わってしまいがちであった。

まったく私は、喉元過ぎれば熱さ忘れるの典型人間だ。でも、貧者の一灯だけは、忘れずに続けたいと、決意を新たにしている。それが、今自分にできることだ。

*余談ながら、中央構造線って私は知らなかったが、その線上に、九州、四国、東海まで、見事に原発が並んでいることに慄然とする。知らないということは考え難いので、このような地層構造を敢えて無視して、その地に建設しようと決めたのだろうか。疑問が残る。